見出し画像

自転車クロニクル  ママチャリ出現       

~1970年、自動車の爆発的な増加。それに伴い自転車と車の事故が多発する。対策として、道路交通法が改正され、自転車は歩道を走ってもいいことになる。
その結果、自転車業界は、スピードの出ない、鈍いおばさんでも買い物で乗れる自転車を市場に提供した。これがママチャリの始まりだ。

ママチャリは何時から出現

これほどママチャリが溢れているこの日本、想像も出来ないだろうが、1975年頃まで、ママチャリというカテゴリーの自転車は日本に存在していなかった。

大人は、今で言う商用の自転車に乗っていた。映画「3丁目の夕日」で、もたいまさこ(煙草屋の婆)が乗っているロッドブレーキの自転車だ。これに荷物を積み、がんがんと車道を走る。つまり自転車は車と同じ扱いだった。今でも軽車両だけどね。

話は現在に少し戻る。
私が多摩川のサイクリングロードをロードバイクで軽く流していると、後ろに、自転車が追いついて来た。角刈りのおっさんが乗っていた。その自転車は懐かしい商業自転車だ。働く自転車。おっさんの身なりも魚屋風、荷台にはトロ箱が括り付けてある。ねじりはちまきして額に汗が流れている。
「なんだよ、懐かしいなぁ」なんか面白いので、10分ほど引いて(風よけ)あげた。
そうなんだ、これが、あの時代の大人の自転車の正しい姿だった。

旅するドロップハンドル
一方、この時代、旅の移動手段としての自転車があった。ドロップハンドル、泥よけやライト、キャリアが付いた今で言うツーリングバイクだ。当時の若者は車なんて高価で、とても買える代物ではない。だから、このツーリング自転車で日本を旅していた。
この旅する若者は当時の人気漫画と同じように「自転車野郎!」と言われていた。何故「野郎!」なのか、当時は、なんだか言って、女の人はあまり自転車には乗らなかった。だから野郎だ。

子供の自転車事情
私の子供時代は1960年代だ。自転車の形も大人の自転車を小さくしたものだった。高度成長期時代。日本も豊かになっていたが、それでも自転車を買ってもらえる子供は少なかった。
だから、子供用自転車を買えない子供達は、三角乗りで大人の自転車を乗っていた。
「となりのととろ」で、男の子が大人の自転車を三角乗りしていたのを見たことがあると思う。トップチューブをまたげないから、自転車の三角形の部分に体を入れて自転車のペダルを踏む。この乗り方は昔の男の子の必携テクニックだった。

私は4年生の頃、子供用自転車を買ってもらえた。しかし、直ぐには乗れなかった。結構大きな子でも自転車に乗れない。今時幼稚園児でも補助輪なしで乗っているが、そんな時代だった。それでも野遊びをしている昔の子供なので2,3日で乗れるようになる。

その後6年生位になると、ブリジストンのロードマン(ドロップハンドルの自転車)が欲しくなる。若者の乗っているツーリング自転車にあこがれたのだ。
私は親にねだった、あんな子供っぽい自転車は嫌だ。Yちゃんも買って貰った(うそ)。
結局、型落ち(新古車)のオレンジ色のロードマンを買ってもらった。だがここで少し問題があった。この時代、日本は交通戦争と言われ、子供の交通事故がものすごく多かった。当時、私も2度程、友達の葬式に行っている。
そして悪魔刈りみたいに、
「子供のドロップハンドルは危険だ!」
と教育者達がトンチンカンな事を言い出した。一番悪いのは車のマナーだろう。そんなこともあり、セミドロップハンドルなんっていう中途半端な自転車も販売されていた。

ママチャリの増大
1970年、自動車の爆発的な増加。それに伴い自転車と車の事故が多発する。対策として、道路交通法が改正され、自転車は歩道を走ってもいいことになる。
その結果、自転車業界は、スピードの出ない、鈍いおばさんでも買い物で乗れる自転車を市場に提供した。これがママチャリの始まりだ。
ママチャリがこのように普及しだした頃、私の興味はオートバイに向いていたため、自転車に全く乗ってないし、自分用に買うこともなかった。そして、気づくと日本はママチャリだらけになっていた。

ロードレーサー
1983年、そんな私も30才になり、トライアスロンの参加を目指したので、ロードレーサーを買った。これはロードレース競技用の自転車で、当時、日本ではあまり見かけなかった。近くに競輪場があったので、隣のおばさんに、
「あんた、競輪選手になったのか」と言われていた。
それほど世間に馴染みのない形の自転車だったが、私は長年ロードマンに乗っていたので、ドロップハンドルの乗車姿勢に違和感はなかった。

唯一、違和感を覚えたのは、シューズをペダルに固定することだ。当時はビンディングペダルなどはないので、トゥークリップペダルを使った。これはベルトでペダルにシューズを固定するので、現在のビンディングペダルと違い。足をひねってもペダルからシューズは外れない。つまり止まる前に、手でベルトを緩めないと、そのまま自転車ごと倒れる。何とも危険なペダルだった。

ギヤチェンジは、ダウンチューブに付いているシフトバーで、右手、左手を使い行う。だからロードレーサーで片手運転とか手放しとか出来る程度のバランス感覚が必要。つまり、ママチャリ世代にとって、ロードレーサーは相当に敷居の高い自転車であった。
当時トライアスロンをするためにロードレーサーに初めて乗った人の中には、ギヤチェンジが出来ないので、重いギヤのまま山を登るなど、とんでもない人が沢山いた。

マウンテンバイクの出現
次はマウンテンバイクの話だ。今、子供達が乗っているマウンテンバイク。これも昔からあるものではない。歴史的にはママチャリより新しい。
1980年頃、アメリカのカリフォルニアに住むが若者(ゲイリー・フィシャー)が、未舗装の山を下れる自転車が欲しいと思い。手作りした。これが地元の若造にうけて、隣近所に売っていたら、ついに自転車屋になってしまった。黎明期のマウンテンバイクはこんな感じだ。

その後、アメリカの西海岸から沢山のMTB(マウンテンバイクの略称)メーカーが産まれた。
GT、キャノンデール、マリン、マングース、スコット、トレックなどなど。今でもMTBが中心の自転車メーカーだ。
黎明期の日本製のMTBとして、アラヤ、ミヤタが頑張っていた。ちなみに私のレース用の最初のMTBはフロントにロックショックがついているアラヤ製だ。今も手元にある、子供が通学に使っている。MTBは本当に頑丈だ。
写真のMTBはゲイリー・フィシャー製だ。

画像1


*FBに100本以上あるノートから転載している

いいなと思ったら応援しよう!