雀のメモ帳 経験は人を変える 変わらない人は消える
雀のメモ帳と言いうことで、ピーチクパーチクと話題は短く、さらにまとまらない。
ちなみに雀の平均寿命は1年3ヶ月だ。なんと短いのだろう。だから雀との出会は一期一会だ。そう思うと雀を見る目が違ってくる。
ケニー・ロバーツ(Kenny Roberts)
ケニー・ロバーツは1970年代から1980年代にモータサイクルレース界におていのその名を轟かしたカリフォルニア州出身の凄腕のライダーだ。その強さからキング・ケニーといわれた。USAカラーのイエローヤマハが格好いい。
ケニー・ロバーツは、アメリカのダートトラックレースの出身で、主にUSAのレースで活躍していた。欧州の世界グランプリなんて大したことないと嘯く、元祖ビックマウスだ。
当時のアメリカ人ライダーは、モトクロスも同様にアメリカのレースが最速で、そこで勝つアメリカ人ライダーが世界一だと思っていたようだ。
今でもベースボール、バスケットとなんでもそう思っている。
ケニーは1978年にヤマハワークスライダーとして世界グランプリ(WGP)にフル参戦する。言葉通りに初年度から3年連続で500ccチャンピオンという偉業を成し遂げ、WGPにおいて初のアメリカ出身のチャンピオンとなる。
伝説の闘い 1983年世界グランプリ500ccクラス
1983年、彼の名声を脅かす天才ライダーが同郷のカリフォルニアから出現した。その若者はフレディ・スペンサー。
1983年世界グランプリ500ccクラスにおいて、ケニー・ロバーツはフレディ・スペンサーと歴史的激戦を繰り広げる。お互い鬼気迫るトップ争いをする。神の領域での争いと言われた。そして運命の僅差で500ccWGP王座をケニーは逃した。そして、この年を最後にWGPから引退するのであった。
ちなみに二人が乗っていたバイクはワークスチームのヤマハとホンダだ。エンジンの馬力、コーナー性能と全ての技術におて、ここでも意地の激突であった。日本の技術力の凄さを世界に認めさせた。
ロードレース世界選手権(WGP)500ccクラス、史上最年少チャンピオンとなったフレディ・スペンサーは1985年にはWGPの500cc、250cc両クラスでシリーズチャンピオンを獲得する。その後は鳴かず飛ばずで引退する。
人は変わる
私は1983年にケニーのある変化に気づいた。皆気づいていると思うけど彼の風貌の変化だ。当初の敵なし時代は陽気なアメリカ人の顔だった。
このシーズンでは、走る哲学者の顔に変貌する。
過去の経験と栄光が重圧となったケニー、ほぼ何も考えていないフレディ。大好きなドクターペパーをレース後に飲む天才フレディ。
2人の異次元のマッチアップ、このシーズンは伝説のWGPとなった。
自転車好きなら、例えとして1989年ツール・ド・フランスでのレモン、フィニヨンとの闘いだ。8秒差の勝利。
それにしても1980年代はマシンスポーツにおいて最高の時代だった。
素質と勝負
私もモータースポーツを少し囓っており、1979年から1984年、20代にモトクロスレースを5年間真剣にやっていた。大怪我もしたが、たいした成績も残さず。勝者の噛ませ犬で引退した。その後、トライアスロンや自転車レース、水泳を35年間続けた。その経験から多少の含蓄を垂れる。
強さは素質、勝負は時の運。
頑張ってない場合は勝負の土俵にも乗れない。
経験は力、経験はリミッターにもなる。
そのリミッターを取り外すのは相当の犠牲を払う、仕事、家族、寿命。
一方、天才にリミッターはない。しかし心が簡単に折れる。ケニー引退後のフレディーの没落ぶりがその例だ。
年齢によりスポーツの練習は変わる
例えば、肉体能力がほとんど勝負を決める競泳競技。水泳の肉体的なピーク、女子は15才、男子は20才程度だ。
特に女子は肉体の変化で体の重心位置も変わり、調整に相当に苦労する。
しかし水泳はスキルが大きく関わるのでピークは25才位までは続く。
その意味でスポーツは肉体的な性別区分でいいと思う。心が女性だと言って体が女性の選手と争うのはスポーツとしてフェアーでないだろう。
話がズレたが、肉体的なピークを越えると筋肉の力が落ちる。
20才から人はどんどん筋力が落ちる。それを補うにはスキルの向上と筋肉を肥大するしかない。
若い頃ほっそりした選手が年齢と共にムキムキになる。
ただ不要な筋肉を肥大させて故障することも多い。靱帯などはなかなか鍛えられないので、筋力で切れたりする。
当然ながら筋トレで練習時間も長くなり、回復時間必要となる。だんだん生きている時間の全てをスポーツに捧げるようになる。
これが高齢者となると起きている時間全てが、練習時間と回復時間となる。
だから老人のアスリートはリスペクトするべきだと私的に思っている。
自分がやれるとは思えない。