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私が死にたいと思わなくなった日②

おむすびころもです。

①を執筆してからだいぶ時間が経ってしまいすみません…m(__)m

また、①を読んでいただいた方々、ありがとうございます!

まだ①を読んでいない方は、②の前に読んでいただければ、話の流れが分かりやすいと思います。​

帰省

2020年6月4日金曜日。

姉から祖母が肺炎になったことを聞き、私はその週の休みを使って帰省をしました。

コロナ禍の中帰省をすることは、良くないことだと思います。
しかしその時は、緊急事態宣言も解除されており、母親も帰っておいでと言ってくれたので帰省を決心しました。

公共交通機関を使い約3時間。
地元の駅に着くと、母親が車で迎えに来てくれていました。

時刻は19時15分を過ぎていました。

その日は実家に帰り、翌日には祖母のお見舞いに行ける。そう思っていましたが…。

実家に着くと、父が出迎えてくれました。

いつもはパワフルで元気な父でしたが、明らかに元気がありませんでした。(祖母は父方)
いつもハイテンションで絡んでくる父のことを少し鬱陶しく感じていた私ですが、そんな落ち込んでいる父を見るのはもっと嫌でした。

父は、病院のお見舞いのことについて話してくれました。

今の状況、病院に大勢で長居することはとても危険です。
そこで病院には、お見舞いのルールがありました。

1.お見舞いは必ず1人で来る
2.お見舞いは一家族1日1人まで
3.お見舞いに来ても良い時間帯は14時~17時まで
4.お見舞いの時間は10分

当たり前だけど、厳しいなぁと思いました。

そして父は言いました。

明日はいとこのお兄ちゃんが来てお見舞い行くから、おまえのお見舞いは日曜日ね。

お見舞は1日1人までなので、私は行くことができません。

ええっ!私明日行けないの!?

てっきり明日には祖母に会えると思っていたので、驚きと同時に不安になりました。

もし私がお見舞いに行く前に祖母の体調が悪くなったらどうしよう。

えーー…と不満そうにしましたが、いとこのお兄ちゃんは社会人なので、休みの日が決まっています。
当たり前のように土日が休みの学生である私に文句を言う権利はありません。

しかもいとこが住んでいるのは、病院から車で30~40分ほどかかる場所です。
家から病院まで車で5分弱で着く私が後回しなのは当たり前です。

それは分かっていますが、不服でした…。

早くおばあちゃんに会いたいのになぁ。

その気持ちは大きいですが、私はぐっとこらえて、日曜日にお見舞いに行くことを受け入れました。

祖母の容態

次の日。

いとこのお兄ちゃんが祖母のお見舞に行きました。
私は祖母の体調のことが気になって、ソワソワしていました。

お見舞いに行った後、いとこのお兄ちゃんは私の家に寄り、祖母の容態について話してくれました。

いとこによると、酸素マスクがとれ、いびきをかいて寝ていたのだそう。
体調は病院に運ばれた時よりも良いとのこと。

・・・ほっとした、というよりも、少し呆気にとられました。
姉に肺炎と聞いてから今まで、不安と緊張で体が硬直していましたが、一気にふわっと力が抜けたようでした。

だからと言って安心はできません。

しかし、帰省前両親から酸素マスクを着けていると聞き、酸素マスクを着けて苦しそうに呼吸をしている祖母を想像してしまい、そんな祖母は嫌だと胸を痛めました。

だからそれが取れたと聞いて安堵しました。

しかもいびきをかいて寝ていたと…。

良かった。きっとおばあちゃんに会える。

私はそっと胸をなでおろしました。

が、なんと兄が明日お見舞いに行くと言い出したのです。

えええええー!!!
私の番は…。涙

兄の休日は土日なので、明日行かないと仕事が始まってしまうとのこと…。

私はというと、月曜日は大学の授業が全休。

うん…。分かるよ。分かるけどさ…。

またもおあずけをくらった私。
こればかりは仕方がない。

それに今日の祖母の容態を聞いた感じ、少し体調が戻ってきているようなので、昨日ほどの不安はありませんでした。

1日1人だけのお見舞いがこんなにもきついことだとは…。

コロナ…許さん…

―――――――――――――――――――――――

次の日。

兄はお見舞いに行きました。

体調は、昨日いとこのお兄ちゃんが話してくれた様子とあまり変わっていないようでした。

私はというと、やることもないので飼い犬をお風呂に入れて気を紛らわせました。

祖母は飼い犬のことが大好きで、散歩の時祖母の家を訪ねると、いつもリンゴを剥いてくれていました。

おばあちゃんに会いたいねぇ…

飼い犬も祖母が大好きだったので、きっと会いたいはずです。

もし体調が戻ったら、一日だけ外出許可を貰ったり…
そんなことを考えながら愛犬を洗いました。

気を紛らわせるはずが、頭の中は祖母のことでいっぱいでした。

明日はいよいよ私がお見舞いに行く日です。

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次の日。

私は祖母のお見舞いに…

行けませんでした。

理由は、おじさんがお見舞いに行ったからです。

おじさんは私の父の兄。
つまり祖母の息子です。

おじさんは単身赴任中で、明日から仕事が再開するので、帰る前にもう一度お見舞いに行くそうです。

私はというと、明日火曜日は授業がありますが、対面授業ではなくレポート課題のものだけでした。

なので明日も実家には居られるので大丈夫ですが…。

ここまで来たら誰かに仕組まれたのか…?とも思います。(笑)

今回においてはコロナがなかったら火曜日は授業に出席しないといけないので、コロナのおか…。

いやいや、コロナのおかげなんて思うのは間違いだ。

うーんでも………。

複雑な感情になりました。

私は皆に、明日は絶対私が行くから!と言い、明日は誰にもお見舞いに行かせないように見張りました。

そして次の日、6月9日。

私は遂にお見舞いに行くことができました。

お見舞い

14時過ぎ。私は病院へ歩いて行きました。

家を出る前、姉に連絡を入れました。

姉は東京に住んでいます。今の時期にお見舞いという理由で東京から地方に行くのは良くないのではないかと考えた姉は、今回帰省をしませんでした。

私はしっかり消毒をすれば大丈夫だよと言いましたが、姉は帰ってきませんでした。

私の考えが甘いことは分かっています。しかし、姉も祖母のことが大好きだったので、会ってほしかったです。

お見舞いに来られないので、せめてテレビ通話で祖母の顔を見たいということで、私は姉に連絡をしました。

その日はいつでも空いているとのことでしたので、病院に着いて手続きを終わらせた後、姉に電話を繋げて病室へ入りました。

祖母はベッドに横向きに寝ていました。

確かに酸素マスクは取れていましたが、呼吸は苦しそうでした。

早速姉との電話をビデオ通話に切り替え、祖母を映しました。

私は祖母に会えたことがとても嬉しかったです。

前に介護施設で会った時よりも目がうつろで、疲れているように感じました。

しかしおばあちゃんと呼びかけると、目をキョロっと動かしていて、それだけでも嬉しく思いました。

私は祖母に色々と話しかけました。

祖母は話すことはできませんが、何となく反応してくれている時もあるような気がしました。

姉は静かに祖母のことを見つめていました。

10分という時間はあっという間で、気づけば残りは2分程度。

いつもお別れの時握手をしていたので、祖母の手をとり、

また会いに来るから、元気でいてね。

と言いギュッと握手をしました。

すると、痛かったのか嫌だったのか、祖母は顔をしかめ手をシュッと引っ込めました。

その時の嫌そうな祖母の顔が可笑しくて、私は思わずふふっと笑いました。

ごめんごめんおばあちゃん(笑)

ずっとじっとしていた祖母が表情を変え手を動かしたのを見て、体調は良い方向へ進んでいるのではないか。そう思いました。

なにより、ずっと寝たきりだった祖母がこんなに表情を変えたのは本当に久しぶりだったので、そんな祖母を見ることができて嬉しかったです。
(表情はしかめっ面ですが…笑)

そして時間になり、名残惜しいですが、私は病院をあとにしました。

帰り道姉と電話をしながら帰りました。

何を話したか覚えていませんが、姉は祖母に会えないのが悲しかったと思います。

しかしそれを我慢して周りのことを考えた行動をした姉は立派だと思います。

コロナじゃなければ、祖母はもっと沢山の人に会えたはずです。
それが叶わない今の状況が本当に悲しいです。

もう一度言いますが、私は姉に祖母と会ってほしかったです。

最後に

コロナじゃなければ、できたことが沢山あります。コロナだから、我慢したことが沢山あります。

しかしながら、この状況下で祖母に会わせてくれた病院には感謝しかありません。

本当にありがとうございました。

お見舞いに行く話までだいぶ長くなってしまいましたが、その分祖母と会えた時の喜びは大きくなったように思います。

しかし10分間、恐らく私の言葉も理解していない祖母にずっと話しかけるのは、正直悲しくもありました。

私の記憶にある祖母の姿は、私の話をいつも笑顔で聞いてくれる姿です。

③では私から見た祖母についてを書こうと思います。

長くなりましたが、ここまで読んでくださりありがとうございます。

また③でお会いしましょう❁⃘


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