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2021/06/24 人生に意味はあるについて書く


日記を限定公開し続けると、いい振り返りを自分に課すことができるのではないかという実験です。

価値があるかはわかりません(多分ない)が、100年後には価値が出ているかもしれないです。すぐ辞めるかもしれません。

最初に設定を間違えて、定期購読者が当月の分しか読めないようになってしまったのですが、ちょこちょこ時間のあるときに直していっています。もしミスリードさせてしまっていたら御免なさい。返金申請をお願いします。

1年投稿すれば1日10円で読めるようになるし、100年投稿すれば1日分が0.1円でまとめ読みできるタイミングが来ます。



# 人生に意味はある

表題の通り、人生に意味はあるということを書こうとする以上、「人生に意味はないのではないか」と考えたことのある人を想像してみる。それは、昔を思い出すことと同義かもしれない。

「どうせいつか死ぬのに、あくせく頑張って意味があるのだろうか」「自分が死んだら何も残らないだろう」「死んだ後、自分は何かをその後の世界に持っていけはしないだろうし…」

いろんな角度で自分の死に思いを馳せ、時たま暗い気持ちになる。寝る前なんて最悪だ。さまざまな思いに駆られながら、眠りにつくことが出来ず、寝不足で朝を迎える。とはいえ、仕事や勉強は大切。なので、そのまま電車に揺られ通勤、通学する。目の前のことをこなしている間に、死をめぐる不安よりも生活や将来の不安が頭の中を占めるようになる。

でも、また思い出す。「人生に意味なんてあるの?」

こんなふうにこの問いは、僕の周りをいつもうろついている。ここでは、そんな人のために書いていく。そして、10年前の自分にも向けて。

最初に断っておくが、これは、今この瞬間に死のうとしている人への答えではない(そもそも答えなどという大層なものを書いているわけではないのだが)。今までの人生で、30秒後に彼/彼女は自ら命を絶つ、という局面に出会ったことが2回だけある。そのような時、言葉で目の前の相手の判断を変えられるとは微塵も思えなかった。とにかく羽交い締めで動けぬようにし、他の人が来るのを待った。極めて暴力的な介入であり、相手の意思なんて全く尊重していない。ただ、人が自ら死を選ぼうとしているときにできることなんてそんなものだろう。「私はあなたに死んでほしくないと思っている」ということを相手に表明する。それは押し付けと同じだろうが、そもそも「人生に意味があるか?」なんて呑気な話に比べれば、より直接的で切実だ。ただ、これから展開する「吞気な話」もいろんな人生の中で救いになるのでは、と、まずは論を進めていこう。

## 人生に意味があるとは

まず、人生とはなんだろうか。wikipediaで見ると「人がこの世で生きていくこと。人の、この世に生きている間。あるいは、この世で生きている間に経験することなど」だそうだ。では、この定義でいこう。中でも、「人がこの世で生きている間、そしてその間に経験すること」という要素を抽出してみたい。

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16,143字
日記をまとめて読めます。僕が何かをやらかしてしまったら一気読みする価値を持つかもしれません。

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