2021/04/12 書くということ
日記を限定公開し続けると、いい振り返りを自分に課すことができるのではないかという実験です。
価値があるかはわかりません(多分ない)が、100年後には価値が出ているかもしれないです。すぐ辞めるかもしれません。
書くということ
書くという行為は、つねに、ある種の≪知性の犠牲≫を要求する。たとえばだれもが知るように、文学書を読むための諸条件は言語への過度の精密さとは相容れない。知性はえてして日常言語には不可能な完璧と純粋を求めたがる。しかし、精神を緊張させなければ快楽をえられない読者などめったにいるものではない。わたしたちは何やら面白がらせなければ読者の注意を惹きつけられないし、こうした種類の注意は受け身なものだ。
この言葉はヴァレリーが「ムッシュー・テスト」で綴った言葉だが、嘆息するほど最近の自らの心境を言い当てている。
自分が東京藝大に受かった時に書いたnoteも、CoinOtakuをリブランディングした時に書いたnoteも、今見ると恥ずかしいなあという気持ちになる。これは意思決定を後悔しているみたいな話ではない。どちらかというと自らの思索を未完のまま提出しているということに対する小っ恥ずかしさみたいなものだ。
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2,289字
日記をまとめて読めます。僕が何かをやらかしてしまったら一気読みする価値を持つかもしれません。
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日記を限定公開し続けると、いい振り返りを自分に課すことができるのではないかという実験です。2021年の4月から始めました。 価値はないで…
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