【連載】てくてく就労支援記① 入職
入職
「お前の言うことなんて聞けるかあ!」
2016年に精神保健福祉士の資格を取得し、その年の10月。意気揚々と就職した先は障害者の就労支援事業所。そこで最初にかけられた言葉がこれだった。
声の主は花岡さん(仮名)。依存症で長く苦しんでこられた方だ。
新人だったわたしは、何も言えなかった。いや、言おうと思えばなんとでも返せたが「言い返すのが怖かった」というのが正しい表現かもしれない。
わたしがはじめに配属になった場所が就労継続支援A型事業所。障害のある方が、最低賃金を保証され、雇用契約を結んで働く場所だ。
しばらくして上司のサービス管理者がやってきた。「花岡さんの洗礼受けたんだね。あの人は試し行為があるから」
わたしは、日常とは異なる世界にきたような感じがした。
わたしの働いた就労継続支援A型事業所では、主にPCを使ったDTP作業を行っていた。ただ、もちろん全員が同じスキルを持っているわけではない。たとえば幻覚妄想に支配されていた井上さんは、独語を発しながらかなりゆっくり入力作業をしていたし、他にも症状には振り回されていないものの、頼まれた「仕事」をないがしろにしているように見受けられる方もいた。誤解を恐れずに表現すれば、秩序のない「荒地」のようだった。
当時、障害者の就労支援事業所は地域に相当数あった。
整理すると、障害者総合支援法に基づく障害福祉サービスのうち、通所型の就労系サービスは就労移行支援事業所、就労継続支援A型事業所、就労継続支援B型事業所の3つに分けられる。前述のようにA型では雇用契約が発生し、そのため最低賃金が保障される。B型ではその制約がないため、1日1000円といった低賃金(工賃)が問題となっていた。
A型事業所が乱立した結果、厚生労働省は規制を設けた。2017年4月1日A型の指定基準改正が発令され「 利用者に支払う賃金の総額以上の事業収益を確保すべき」となったのだ。つまり、稼いだお金から最賃を支払えということ。これは一般企業と同じ条件である。その結果、岡山県倉敷市では、2017年7月から2018年12月にかけ、10のA型事業所が経営悪化などを理由に閉鎖され、500人以上の利用者が突然解雇されるなどの事態が起こった。A型事業所の存続が危ぶまれることとなった。
話を花岡さんとのやりとりに戻そう。入職後3カ月間、花岡さんはロクに口も利いてくれなかった。話したとしても、わたしへの罵倒、悪口である。堪忍袋の緒が切れたわたしは、支援者として禁句とされる「私的な思い」を花岡さんにぶつけてしまった。
「花岡さん。毎日そうやって言われたり無視されていたら、こっちだっていやな気持になります!」
一瞬静まり返った後、驚いたことに花岡さんは笑顔を見せてくれた。
「やっと人として接してくれたなあ」
その言葉にはっとした。支援者になると、相手が人であることを忘れる瞬間がある。花岡さんは長年、そうした支援者らしさにこだわる支援者を見てきて、ないがしろにされていると思い、忌避してきたのだろう。そこで新人の若い支援者が来たのだ。「いっちょ試してやるか」と思うのも無理はない。
思えば今までのバイト経験でも、レジ打ちでお客さんを人だと思うことはあまりなかった。人をただただ捌く仕事だった。ただ、この仕事は違う。当事者には見破られるのだ。自分を本当に見てくれているのかどうかということを。
話が少しそれるが、この業界では利用者を人として見ないことも少なくない。これは制度設計とも関係している。
障害福祉サービスは一日来てもらっていくら、〇〇の支援をしていくらというように、医療の診療報酬と同じ報酬体系になっている。そこでは、利用者が数字として見られ、抱え込み(コンスタントに通所している利用者を固定資産とみて社会に出さないこと)や意味のない支援が行われていることも少なくない。こうした制度設計のもとで、支援者が利用者を数字で見ることが当たり前に行われていたりもする。これでは、利用者がいつまで経っても就職できない。
しかし、入職当初のわたしはそんな制度のことはわからずにいた。制度の在り方やわたしの考えは後述する。まず間違いないのは、花岡さんは最初の出会いでわたしに大切なことに気づかせてくれた。「俺を人として見てくれ」「俺が生きていることを忘れないでくれ」というメッセージは、今となってはわたしの支援の指針になっている。