初代吉本寛会長について
1 略歴
大正12年8月5日 東京都牛込区生れ。東京市牛込区江戸川小学校、東京市立京橋商業学校(現在の「芝商」。剣道部入部)を経て、昭和17年 旧制富山高等学校入学(剣道部入部。剣道部マネージャーを務める。)。在学中、昭和18年12月 学徒出陣。昭和20年8月 終戦、復員。
昭和22年 東京大学法学部政治学科入学(在学中は、GHQの禁止令で剣道は出来ず。)、昭和25年3月 同大学卒業、労働省入省(同期には、森山真弓元内閣官房長官、元文部大臣、元法務大臣)、その後、昭和48年7月 労働大臣官房総務課長(同年10月 三菱道場で剣道再開)。
昭和54年6月 労働基準局長(同55年10月 労働省剣友会創設、初代会長就任。千代田区体育館剣道場を中心に稽古)
昭和56年7月 労政局長、昭和57年7月 労働事務次官、昭和58年7月 退官(同年6月 第1回労働省剣友会合同稽古会(愛知県豊川市)開催)。
昭和58年8月 中小企業退職金共催事業団理事長就任。その後、(財)労災保険情報センター理事長、日本障害者雇用促進協会会長、(財)介護労働安定センター理事長、(財)労災年金福祉協会理事長・会長を歴任。
平成8年5月 勲二等旭日重光章受章。
平成20年4月2日 逝去(享年84歳)。
剣道関係では、平成11年5月 全国官公庁剣道連盟会長就任。全日本剣道連盟審議員、同顧問、同綱紀委員長を務められ、平成19年11月 全日本剣道連盟剣道功労賞を受賞された。
剣道教士七段、書道八段
2 剣友会への思い(遺稿から)
◯左文右武(「遠山」第1号、平成2年7月)
労慟省剣友会が発足して十余年になる。地方の方々に呼び掛けて今や、各県支部も十九ケ所(東京支部を含む。)に及びました。
我々の望みは、各県に剣道同好の士の会が設置され、各県対抗の大会が持てることであります。
ところで、我々は常に仕事を有しての剣道修業であります。社会人としての剣道は、仲々難しい、専門家のように常時鍛錬できるのとは基本的に異る、そこに大変な困難さがあるのです。しかし反面、独特の楽しみもあります。稽古をして汗を流すことによって社会生活に潤いを持てる味合いがありますし、稽古の活力で仕事に稽進する嬉しさもあります。また、仕事での経験が剣先に生き、稽古に現れてくる、そんな気持も尊い。このような意味で社会入剣道では、通常の業務を立派に処理しながら、合せて稽古をすることを旨と致したい。仕事をほっぽり出して剣術だけをやると言うのは、決して本来の剣の道ではないと思う。また、剣の修業をやることによって仕事の方にも活力を出し、土壇場で頑張る素地が築かれるものでせう。
昔の言葉に「左文右武」と言う。文武両道のことを言っています。我々社会人剣道に勤しむ者は正にこれです。壮事と剣とを両立させませう。日々之実践。
◯修行ということ(「さつき」第57号、平成19年7月)
近頃世間をみると、何かと自分の利益のみ考える、私利、私欲に走る風潮がまことに多い。人間としての道を努力して、学び、習い、修めるなどなおざりになっている。欲を捨て、自我を殺す、これが人間の修行であろう。
修行は、佛教伝来とともに始められ、印度、中国を経て日本に伝わり、修験道として人間修行の大きな方途とされて来た。般若経の有名な「行深般若波羅密多時」は今日なお行として続けられている。「深遠な智慧の完成において、行を行じつつあった、その時に」ということで、佛教者始め人々が厳しい修行の途を進めている。
このことは剣術の世界でも大いに展開され「本来無一物の義釈然たるに至らば、敵白刃を揮うて此方に迫るも、静然として動ずるの色なく、恰も担途曠路を行くが如くなるべし」(山岡鉄舟の師、願翁)と説き、鉄舟は何事においても「捨て身」でやり抜き、輝然たる境地を会得した。而して自らを捨てる方法として、「誓願」という稽古と、「立切試合」を取り上げた。誓願とは、千日間早朝から晩まで稽古三昧になること、立切試合とは、先ず一期、一日二百面敵を切る。二期は三日間立切のまま、三期は七日間千百面行い敵を忘れる、というまで稽古を重ねた。このような激しい鍛錬によって自らを捨てる努力をし、何千の弟子にさせたという。
又、柳生新影流では、すべての病を去って平常心でみれば、本来眼に見えない敵の心も太刀を握る手にみえる、「捧心」の境地を奨励している。「捧心とは、心を捧げる」、太刀を握った手にささげている、敵の握った拳の「いまだ動かざる所をそのままうつ」この境地で相手の心を読むこと肝要と云っている。
一方、近代西洋哲学でも、佛学者ベルグソンが「生命の躍動」(エラン、ヴィタール)を提唱した。創造的情動が、特扠的魂を呼び起し、躍進の連続が生命となり、生命の根源的躍動によって進歩の歩みがなされる。そして進化は終わりのない創造を形成し、生命の進化が宇宙の進化と合体するに至ると論述し、そこに、見神、忘我、法悦の段階を経て、生命の充溢、巨大な躍動が生いている、と説いたのである。純粋持続の展開である。
更に、宗教家として世界的に名高い鈴木大拙氏はいう。個己の生活を抜けて、超個の人の認識でないと困る。超個の人は、個己と縁のない人だということでなく、離れては存在し得ない、不思議な一物である。「一無位の真人」であり、「万象之中独露身」である。この超個の人が本当の個己である、と。「この界にわろき者はわれ一人、地獄へ行くもわれ一人、浄土へまいるもわれ一人、一切みな一人一人と覚えにける」というこの一人である。
以上各方面を見たが、人間存在そのものの無智、我執から如何にして脱却するかは、生涯学習ともいうべきことで、常々努力して行かねばなるまい。
ここに「克己複禮為仁 一日克己復禮、天下帰仁焉 為仁由己 而由人乎哉」(論語、顔淵第十二)、利己を押え、規範に立つことを実行することが大切、他人に頼らず実践すること、自らキチントせねばならない。近時、特に、切に思うところである。
◯「遠山」第十号発刊を記念して(「遠山」第10号巻頭言、平成12年9月)
労働省剣友会会報「遠山」も早いもので発刊第十号を迎えた。平成二年七月の創刊号で、剣友会顧間の坂本大臣(当時、海部内閣官房長官)の座右銘である「遠山の目付け」から会報の名前をいただき、発刊した。毎号、巻頭の合宿の集合写真、自由寄稿、会員・支部短信、そして、その時々の特集と、継続して編纂して参り、各号の頁を繰るとその当時のことが恰も昨日のことのように懐かしく思い返される。
単に労働省剣友会の活動記録としてばかりでなく、会員諸氏の剣道に対する熱い思いと剣道を通しての暖かい心の触合いが「遠山」を内容豊かなものにしていると思う。かくて、剣道の修行を通じて、東西古今の実在や意義を追及し、人間存在を悟る境地に達したいと改めて念願するものである。
ともあれ、忙しい合間を縫っての原稿募集、編集。作成の労をとっていただいている幹事諸氏のご苦労に感謝申し上げたい。
今後とも、本会報が、合宿・全国大会に参加できない方を含めての労働省剣友会会員の交流の場と成り続けることをお祈りしたい。