【第22話】住所が存在しない家
棚の川の大家さんの家を借りられるようになり、これから家の改装を始めようと夢を膨らませていたある日、信州新町の役所から3人の職員が訪ねてきた。
誰から聞いたのかわからないが、棚の川の家の事で来たようだ。
職員が発した第一声は
「伊藤さん、あの家には住めません。」
であった。
理由を訪ねると、ひとりの職員がその訳を説明してくれた。
僕たちが住もうとしていた棚の川という村は、毎年冬に大雪が積もる場所で、除雪の作業が大変で経費がかかり過ぎるため、町中の小高い所に住宅を用意して、棚の川に住んでいた住民をほぼ強制的にそこへ移ってもらい、今では行政区域外の村となっている、とのことだった。地図上でもその『棚の川』という地名は消されてしまい、存在しない村となっていた。
「というわけなので、あの場所には住めません。」
と念を押された。
「そんな事言われても、大家さんは住んでいいと言っているし、僕たちはこの場所が気に入っているので住みます!」
とお答えした。
人の良さそうな職員さんたちは困り顔で、少しの間お互いの顔を見ている。
そのうち、ひとりの職員が
「伊藤さん、近くの空き家の住所を借りましょう。」
と言ってくれた。つまり、別の住所のある場所に住民票をおかせてもらい、実際は棚の川の家に住めるということだ。
「ただし、この場所には郵便もきませんし、除雪もしませんよ。」
とのこと。
僕たちは彼らのアイディアに感謝し、頭を深々、彼らの帰りを丁寧に見送った。
これで安心して家のリフォームに取りかかれるようになった。
その翌日、連れ合いの美郷と、幼い息子二人、そして愛犬のハワ(ヒンディー語で『風』という意味)を連れて、棚の川に向かった。
実はその日まで、家の中を見たことがなかった。
けど、僕たちはその場所をとても気に入ったので、家の中よりも、そこに住むことで頭がいっぱいだった。
道中、僕は新たな住まいに胸を躍らせていた。この後、想像もしていなかったものが僕たちを待ち構えているとは、その時は露ほども思っていなかった。
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〜シタール奏者伊藤公朗人生の反省文〜
【週1配信】終戦間もない混沌とした時代に愛媛県の禅寺に生まれたシタール奏者伊藤公朗。昭和初期の田舎での自給自足的な暮らしをした幼少期、実家…
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