【第2話】恐怖の〇〇当番
僕が小学生だった 1950 年代のトイレ事情はご想像の通り、汲み取り式、通称“ボットントイレ”だった。
なんと僕の通っていた小学校では、その汲み取りを当番制で生徒がやる、という“汲み取り当番”なるものがあった。それが普通だと思っていた僕だが、大人になって同世代の友人にこの話をすると「公朗、年ごまかしてるやろー」と信じてもらえない。
そして、トイレ事情の話に続いて思い出されるのが、学校で行われていた検便。当時は今と違って便利なプラスチック容器などが普及していなかったので、何にウ○コを入れて検便していたか、これはさすがに想像ができないと思う。そんなど田舎育ちの僕の汲み取り当番&検便思い出話を今日はしたいと思う。
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〜シタール奏者伊藤公朗人生の反省文〜
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