【コセイ】顔と中身【コラム+エッセイ】
どうも、那月です。
台風と秋雨前線タッグのせいで地元では一気に温度が下がり、もう半袖では眠れなくなりました。ジャンパーを着て朝食を食べてる人もいます。
第1回なので『顔と中身』という事についてかいてみようかなと思います。
かなり昔から「顔じゃない、中身だ」みたいな事をいう人が一定数いますが、その人には他人の中身がどれだけちゃんと見えるんだろうと思うことがかなりあります。
私の周りには女の子が少なかった為、男の子と川で水遊びをしてずぶ濡れになって帰ったり、缶蹴りをしてあちこち擦りむいたりする子供でしたが、大人の前でけして騒がず遠慮がちにしながらも大人が声をかければ恥ずかしそうにはにかんで笑いおそるおそる反応する子供でもありました。
その当時、私は知らない大人の前での正しい振る舞いを知らなかったので、そうしていたまでに過ぎません。
でも、明らかに他の子とは違う振る舞いをする自分を親が
「猫を被るのが上手い」
そう言って褒めるのでいつしかそれが正しいのだと認識するようになりました。
この幼少期の私に関わっていた大人は大抵どちらかの私しか知らないので、未だに全く異なる印象を持っています。
「活発で男勝りな私」
「おとなしく恥ずかしがり屋の私」
どちらの私も私である事に変わりありませんが、両方を知る親でさえどちらも私の一側面である事に気がつかないのに誰が気付くのか謎でしょうがありません。
勿論人は顔だけじゃないし、中身が大切なのは分かります。でも顔が関係ないくらい中身を重視するなら、ちゃんと相手を見る目を養わないとですよね。
最後になりますが、私はどっちもあまり重視していません。
私にとって大切なのは、居心地が良い相手かどうかです。
自分が割合と極端な側面を多く持っているようで
「こんな人だと思わなかった」
と言われることが、ままあります。そんな事を言う人だとは思わない人に言われることもあるので、自分の人を見る目は全くと言って良いほど信用していません。
ですが、居心地が良いかどうかはその時の気分や相性で変わるので、居心地が悪い時は別々に、居心地がいい時は一緒にいれば良い。
これは中身も顔も関係ないので、私にとってはそんなに心に負担がかかりません。
居心地が良い相手が居心地がいい別の誰かに悪く言われても
『この人はあの人といて居心地が悪いんだろうな。じゃあ3人でいるのは私の居心地が悪くなるから止めよう』
と思えるので、どっちのことも嫌いにならずにすみます。
人は顔や中身と言うより相性かなぁと思いつつ、誰かを嫌うとか疲れることはあんまりしたくないなぁと思いながら今日も生きています。