この世界に生まれた瞬間から、私は存在しています。(東洋哲学的には存在しないのかもしれませんが…。)私が存在し始めた瞬間から、私の存在している位置が定まります。そして、この位置は死して朽ちるまで、人によって長さは異なるものの、一筆書きで描かれていきます。常に地続きでつながっているわけです。
私は生まれる前にはバラバラでした。原子の大きさで考えてみますと、色々なところに存在していた原子が父親や母親の身体を介して集まっていくわけです。また、死んだ後は、身体を構成する原子がバラバラになり、私のたくさんの一部が散らばっていくわけです。そう考えますと、生きるということは、私という原子の集合体が、死ぬまでに位置の一筆書きを描くことだと言えるのかもしれません。そして、私という全体は生きている間しか存在しませんが、私の一部は生まれる前からどこかに存在しており、死んだ後も存在し続けるわけです。
今私の中には、何十億年前の星だった頃の私や、何億年前の恐竜だった時の私や、何百年前のお侍さんだったときの私がいるのかもしれません。世界と私の境目は、消え失せてしまいました。
課題に逼迫されて、おかしな思考になっております。