写真:同書の表紙、裏表紙=左:伊谷純一郎、右:伊谷原一
ヒトの起源は「森からサバンナへ出て二足歩行を始めたことにある」――フランスの人類学者イブ・コペンス(1934~2022)の学説を定説だと思っていました。が、今年の4月、若い友人の伊谷原一さんは表題の著書で、見事にそれへの反論を展開していたのです。
ただ、その議論を的確に紹介するのが、ぼくには「むつかしいな」と思っていたところ、これまた古い知人の好廣眞一さん(龍谷大学里山学研究センター研究フェロー)が非常に分かりやすい書評を『週刊京都民報』(2013年6月25日)に書きました。その主要部分をそのまま、つぎに引用・紹介します。
「食物の豊かな森から乏しい乾燥帯へ出て行くだろうか? 原一は父純一郎と激論の末、対立する仮説を立てた。アフリカ人類学とヒトの最新の共通祖先は、乾燥地または森と乾燥地の境界にいたが、そこに住み続けられない事件が起きた。そこで森に逃げ込んだ者が各地域でゴリラ、チンパンジー、ボノボになり、森に逃げ込まなかった者からヒトが生まれた。彼らは事件以前から肉を食べ始めており、肉を食べるために乾燥地に出続けた。ヒトは乾燥地にいた類人猿の生き残りだ。
彼はさらに、共通祖先は二足歩行していたことがあるとも言う。ゴリラ、チンパンジー、ボノボが地面を歩く時、手の平をつかず、ナックルウォーキング(指を丸め第1関節と第2関節を地に着けて歩く)するのは、その名残だ。誠に潔い仮説だ。
彼がアフリカ中央部に暮らすボノボを長年観察し、次いで乾燥地のチンパンジー、そして乾燥地のボノボと、異なった環境で調査してきたからこその考えだ。
彼は家族と地域社会の二重構造を持つ人間社会の起源にも挑む。出合えば殺し合うこともあるチンパンジー集団同士に対し、ボノボでは出合うと親しく混じり合い、交尾や毛づくろいさえ始めることを初めて観察し、地域社会の芽生えを見た。従来の類人猿社会の研究を概観し、人間家族形成仮説を立てた」
この書評は冒頭の「生気あふれ、刺激に満ちた対談だ」という実に潔い一文から始まっています。その捉え方に大賛成なのですが、ただ、ぼく自身は著者・伊谷原一さんの、
「驚くほど潔い活劇を見るかのような半生の紹介」
に、その学説と同様の驚きと感動を受け取りました。で、ここからはそのことに関する「書評のようなもの」を記してみます。