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2月③ 雪原の凍らぬ水に立つ丹頂(北海道鶴居村のタンチョウ群落)
写真:北海道鶴居村のタンチョウ群落(撮影:薩摩嘉克)
「鶴」と聞いて思い出すのは「JALのシンボルマーク」と「鶴の恩返し」という民話でしょうか。その話を少し思い出しておくと……
昔々、ある所に貧しい老夫婦が住んでいました。
ある冬の日に老爺が町に薪を売りに出かけると、猟師の罠にかかった一羽の鶴が見つかります。かわいそうに思った彼は、鶴を罠から逃がしてやります。
激しく雪が降り積もるその夜、美しい娘が老夫婦の家へやってきました。
で、親に死に別れ、見知らぬ親類を頼って行く途中、道に迷ったので一晩泊めて欲しいと言うのです。
夫婦は快く娘を家に入れてやります。次の日も、また次の日も雪は止まりません。その間、娘は甲斐甲斐しく夫婦の世話をして彼らを喜ばせました。
ある日のこと、娘が言うのです。
「顔も知らない親戚の所へ行くより、いっそあなた方の娘にして下さい」
老夫婦は喜んで承知します。娘の孝行はその後も続きました。で、それからしばらく、
「布を織りたいので糸を買ってきてください」
と娘は頼みます。老爺が糸を買って来ると、娘は、
「絶対に中をのぞかないでください」
と部屋にこもり、3日3晩、不眠不休で1反の布を織り上げます。
「これを売って、また糸を買ってきて下さい」
そう言って彼女が夫婦に託した布は、大変美しく、町で評判となり、高く売れました。
と、老爺が新たに買ってきた糸で、娘は2枚目の布を織ります。それは一層みごとな出来ばえで、さらに高い値段で売れたのでした。
が、娘が3枚目の布を織るためにまた部屋にこもると、約束を守っていた老妻が、美しい布を織る娘への好奇心に勝てず、約束を破って部屋をのぞいてしまいます。
と、娘がいるはずのそこには一羽の鶴がいたのでした。鶴は自分の羽毛を抜いては、きらびやかな布に織り込んでいます。
羽毛の大部分が抜けた鶴の姿は哀れなものになっていました。
まもなく、驚く夫婦の前に機織りを終えた娘が出てきて、
「私は、お爺さんに助けられた鶴です。ずっと、あなた方の娘でいる積もりだったのですが、正体を見られたので立ち去らねばなりません」
そう言って鶴の姿に戻り、別れを惜しむ老夫婦に見送られて空へと飛び立つのでした。
なんだか、ほっこりする話ですね。その鶴の代表ともいうべきタンチョウが前世紀の日本では絶滅寸前だったようです。
それが今では1500羽まで増えたのだとか。
「めでたしめでたし」――というので、こんなエッセーを書いてみました。
気温は氷点下20度以下に下がる。が、流れる水は0度以上である。
そこから立ちのぼる蒸気が、樹氷と流水と雪原の織りなす釧路湿原に棚引く。
タンチョウが水中に立っているのは、そこが、ほかの場所に比べて暖かいからにほかならない。
長い首と風切り羽の黒を除くと、全身が真っ白である。ただ、頭に「頂く丹(=赤)色」が名前の元となった。そんなタンチョウは鶴の仲間にほかならない。
その首と足を真っ直ぐに伸ばし、広げれば2メートルに達する翼を羽ばたいて真冬の紺碧の空を飛ぶ優雅な姿は、古くから日本人に「めでたさ」の象徴とみなされてきた。
ただ、19世紀には北海道全域で見られたタンチョウが、20世紀には絶滅に瀕した。で、特別天然記念物に、ついで生息場所の釧路湿原が天然記念物に指定される。
結果、ここ鶴居村をはじめ、25か所に及ぶ保護区ができ、その数も1500羽を超えたとされる。
ところで、優雅なタンチョウはひょうきんでもあるらしい。
気取った格好で歩き、翼を広げてピョンと跳びあがる。頭を下げてお辞儀をしたかと思うと、首を伸ばして嘴を突き上げ、つまんだ草を空中に放り投げ、ときに鋭い「鶴の一声」を発する。
それだけではない。水草や水生昆虫、タニシや小魚やカニなどをエサとするタンチョウは、湿原の自然の健全さをはかる指標ともなるのだ。
とはいえ地形や動植物など、構成要素の多い湿原は、人間の生産活動には余り役立たない。田畑にならず、工場や住居も建たない。
だから昔、海に近い平地を随所で覆っていた湿原は、生産活動に役立つよう改造され、開発されてきた。
それをまぬがれた湿原が現代という時代には「貴重品」となる。多様な生物が生命を謳歌する、そんな場所から得られる知識と知恵には、新しい時代を豊かにする契機となる多くの可能性が秘められているのだ。