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11月「京都嵯峨越畑のカヤ葺き古民家」

 京都に余り高い山はありません。京都府の最高峰は京都市左京区と大津市の境に位置する971.3mの皆子山が最高峰だとされます。これにつぐのが市の北西に位置する愛宕山(924m)や北東に位置する比叡山(848.3m)などです。

 これらの山々が市域の最外側だと思いがちなのですが、市域はその外側にも広がっています。たとえば愛宕山の北西に嵯峨越畑(こしはた)と嵯峨樒原(しきみがはら)という2つの大字で構成される「宕陰(こういん)」という地名の場所があります。京都市街から見れば文字通り「愛宕山の陰」ということなのでしょう。
 この地区は愛宕山の陰に位置するうえ、まわりを山林に囲まれているので、その気候は毎日の寒暖の差が非常に大きいのです。また、冬期には多量の雪が降り、水田も含めてあたりは一面の銀世界となるようです。

 そんな谷間の地に美しい棚田が広がっています。もっとも「日本の棚田百選」には選ばれていないのですが、「越畑・樒原」が「にほんの里100選」に選ばれています。
 なお、鉄道の最寄駅は丹波地方に属する南丹市にあるJR山陰本線の八木駅です。そこから自動車を使って30分足らず。そんな地域が京都市右京区に属しているのです。              (写真:Wikipediaより)

 現代日本の木造住宅の耐用年数は四半世紀程度だという。そのたびに数千万円の資産が廃棄される。暮らしが豊かになりにくいのも無理はない。

 それに比べ、カヤ葺き屋根の葺き替えは一般に30年ごとだとされる。当然、建物全体の耐用年数はそれ以上である。しかも、たっぷり空気を含んだカヤ葺き屋根は断熱効果に優れ、音を吸収するので静かでもあるのだ。
 そんなカヤ葺き屋根は、傾斜が弱いと雨が漏る。逆に強すぎると、ずり落ちる。で、どれもが似た三角形になる。それに、時間の経過で濃淡は変化するが、色調は変わらない。昔の村の風景が美しいのも不思議はない。

 それが近代以降、瓦やトタンなど新素材の普及で変化した。昭和初年、そのことをフランス全権大使にして詩人でもあったP・クローデルが日本を離れる直前に公にした一編の詩に記している。いわく、「あゝ三角は飛ぶよ」――「美しい三角屋根が失われていく。ああ惜しい」というのだ。

 以来1世紀近く、さらなる新素材の普及で、日本の家々の屋根は色・形とも勝手気ままな姿を露わにし、耐用年数も短くなった。屋根だけの責任ではないが、屋内の静けさも求めがたい。

 ところが百万都市、京都市街を少し離れると、瀟洒なカヤ葺き屋根の古民家が残されている。ここでは築後300年とされる嵯峨越畑の河原家を紹介する。が、その近隣には喧噪と多忙の都市生活者の「住んでみたいな」という憧れを誘う古民家は少なくない。

 と思っていると10年ばかり昔、宮城県に日本で唯一の萱葺き専門の会社が設立されたというニュースを目にした。以後、似たような会社がいくつか産声を上げ、大学卒の若者が就職するようになってきたという。

 かつて米や野菜の増産をめざす農業用地、さらには工業用地として開発されたために消えていった、カヤ葺きの原料となるススキの原野が、時代がひと回りした今日、再び各地でよみがえりつつあることと、それは軌を一にしているのかもしれない。

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