夢をめぐる北条政子と青戸左衛門のエピソード
写真:書物『北条政子』の表紙、青戸左衛門の絵(Wikipediaより)
「夢」という言葉があります。それは古い日本語では「いめ」と言いました。いうまでもなく、その意味は『広辞苑』によりますと、
「睡眠中にもつ非現実的な錯覚または幻覚。多く視覚的な性質を帯びるが、聴覚・味覚運動感覚に関するものもある。②はかない、望みがたいもののたとえ。③空想的な願望。心の迷い。迷夢」
となります。ただ、1983年に公刊された『広辞苑(第3版)』から、こうした語義に「将来実現したい願い。理想」という語義が加えられました。
そこで、
「眠って見る夢」と「将来の夢」、ついで「夢と現実の関係」
について考えてみます。
むろん「夜に眠って見る夢」は現実ではありません。でも、夢のお告げ、正夢、予知夢などといった言葉があります。現代に生きるわたしたちは、
「そんなことは科学的にありえない」
そう考えます。でも、やっぱり気にはなるはずです。ときに夢のなかのできごとが、仕事上の問題や日頃の悩みを解くきっかけになったりすることもあります。
そういえばニューギニアの高地民族は、夢のなかのできごとを、現実世界とつながっていると考えているのだそうです。
だから、夢のなかで誰かに悪さをしたら、目覚めたのち、
「さっきはごめん。悪かった」
とあやまるのだといいます。べつだん彼らが遅れているわけじゃない。わたしたちとは夢の理解のしかたがちがうだけのことです。
昔の日本人も「夢を売り買い」したりしました。
たとえば13世紀、北条政子という女性は21歳のとき、2歳年下の妹が、
「高い峰に登り、月と太陽を左右のたもとに納めた」
という夢を見ました。
すると姉の政子は、
「なんと恐ろしい夢でしょう」
そう妹を脅して、その夢を、おためごかしに買ってしまうのです。
で、政子は見事、天下人の源頼朝の妻になったというのです。
ところが約100年後、南北朝の動乱を描いた『太平記』には、こんなエピソードが記されるようになります。
相模守だった北条時頼が、
「青砥左衛門を取り立てよ」
という夢を見て、青砥に領地と与えようとします。
青砥左衛門とは、
「夜の川に落とした銭10文を、従者に銭50文で松明を買わせて探させた」
とされる人物です。
その青砥は、相模守の下命を固辞します。というのも、
「もし相模守が逆の内容の夢を見たら、所領を没収されることになる」
と考えたからです。
どうやらこのころに「夢と現実を分けて考える近代的な見方」が成立し始めたようだと言えるでしょう。