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にっぽんの知恵「缶コーヒー⑦『手軽』と『本格』を同時に追求する日本人」
図像:「さまざまな缶コーヒー」と「ヨーロッパのカフェ」
さて、缶コーヒーをめぐる、日本国内でのメーカー同士の競争には実に激しいものがあるようです。ところが、不思議なことに、海外ではあまり飲まれていないといいます。
上島さんの話によると、アメリカの西海岸や中国、韓国、台湾などでは缶コーヒーが売られてはいるようです。しかし日本に比べると、その数は極端に少ないといいます。
とくにヨーロッパでは、コーヒーをカップに注ぎ、おごそかに楽しむ伝統が厳然として生きているのでしょう。だから缶から、ごくごく直接に飲んだり、大量生産したりするものではないというイメージが強いのだそうです。
「それは、日本人の多くが、みそ汁を冷やしたり、ガラス容器に入れたりしないのと似ているような気がしますね」
そう指摘しながら、赤岡さんは、自販機やコ一ンビニなどの普及の違いに触れました。
「日本では屋外の自販機が目立ちます。これは、日本の治安の良さを前提としているわけでしょ? ヨーロッパには、屋外の自販機も、それからコンビニも非常に少ない。こうした条件も影響しているのでしょう。缶コーヒーは消費者に身近な商品になっていません」
なるほど、さまざまな意味で「缶コーヒー」は「和の産物」だったというわけです。
そういえば、缶コーヒーは、たんに利便性を追求するだけでなく、着実に高級で美味なることを、セールスポイントにしてきました。
徹底した簡便さと高級感――製品に正反対の多様性を求めるのは、日本の大衆文化の特徴なのかもしれません。
実際、第二次大戦後、アメリカ人が、さきに紹介した「ソリュブル・コーヒー」とは別の方法で製法特許を取得した、いわゆるインスタントコーヒーも、日本では「レギュラーコーヒーに負けない」ことを目標に改良が重ねられました。
缶コーヒーも「炭焼き」「ブラック」「プレミアブレンド」「キリマンジャロ100%」など、おびただしい種類の形容詞を動員して、それが「本格的な味わい」を実現していることを訴求し続けています。
それは、ひとりコーヒーの話だけではなさそうです。インスタント麺、ファストフードなど、さまざまな領域で日本人は「手軽」に加えて、いつも「本格」を追求するのです。
いずれにしろ、手軽に飲める缶コーヒーを、高度な技術革新が開発した自販機で、気を使わずに買って飲む――そこには最新の技術で製造したコーヒーの粋が詰め込まれているのだということになるのでしょう。
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