〈実話チョイ怖😅〉雨の日の青山霊園、墓の隣に立つ死者達
こんにちは👋😃椿あんこです。
昨日は、私の卒業した学校の創設者の命日でした。
うちの学校は、創設者の命日とか誕生日とかに集まることがよくあります。
今年はコロナ禍も明けましたので、
久しぶりに同窓の仲間達とお墓参りをしてきました。
快晴で昼間は比較的暖かくて良かったです。
まあ、
参拝そのものはすぐに済みますので、
あとの時間は学友さん達とのランチやお茶に移行するのですが😁。
江戸時代に生まれた創設者の先生も、
在校生やその保護者や卒業生達が墓参りに来てくれて、
そのあと交流している姿を天国からみて喜んでいるかもしれません😁❤️。
皆不思議な洋服を着て戸惑っていたり(現代の服)、
墓を写メするスマホを、
「あの光る板はなんじゃ!」と興味津々かもしれませんが。
さて、昨日は快晴の墓参りでしたが、
今日お話しするのは、
雨の日にした墓参りの話です。
⛩️あんこ、論文を書く前に
私が、大学の卒業論文を執筆しようとしていた時のことです。
幕末に生まれて大正時代まで生きた、とある女学校の学校創設者のことを
研究テーマにしていました。
その論文の資料を色々集め、いよいよ執筆!
となる前に、どうしてもやっておきたいことがありました。
それは、その女性創設者のお墓参りです。
俳優がその役を演じる前に、
その人のお墓参りをしてご挨拶するようなイメージです😊。
⛩️予定していた墓参の日は、雨
私は無類の晴れ女なのですが(このことは、また別に書きたいと思います👍💕)、
予定していた日はド雨。
一同「ド雨ってなんだよ」
雨の日にお墓参りはあまり行きたくないものですが、
休みのタイミングもありますし、
このお墓参りをしてから論文執筆に入りたかったので、
お墓参りを延期すると
執筆開始も延期になってしまいます。
雨でも行かなければなりません。
⛩️行き先は、青山霊園
父に車を運転してもらい、
午前中の早い時間に
女性創設者の眠る墓地に向かいました。
母マミコもついてきてくれました。
私は車の中から、「晴れろ~、晴れろ~」と逆雨乞い?していましたが、
意に反して雨足は弱まりません。
行き先は青山霊園です。
東京の都心のど真ん中にある広大な墓地で、
数々の歴史上人物や有名人が眠っています。
あまりに広いので、墓の区画には番地があるぐらいです。
女性創設者のお墓の位置は事前に調べていきましたが、
果たしてすんなり辿り着けるでしょうか。
⛩️霊園に足を踏み入れた直後にマミコが言った言葉
駐車場に車を停めて、いざ霊園に。
傘をさして、私と父はキョロキョロしながら
「目的地」を探します。
母マミコは、さっきからなんとなく口数が少ないのです。
私はたずねました。
私「どうしたの?気分悪いの?」
マミコ「お墓の横に、お墓の中の人が出てきて、立ってる。。。」
私「え!マジか❗どこのお墓?😱」
マミコ「全部のお墓よ」
えええ~😱😱😱!!!
⛩️全てのお墓の横に幽霊、という状態
お墓といっても、
個人のお墓、
夫婦のお墓、
先祖代々のお墓、など
色々あります。
一族を代表して1人だけいたのか、出てきたい人だけ出てきたのか、よくわかりません。
私はマミコに、それぞれの墓の横に何人並んでいるのか聞くのを忘れました😅💦。
マミコ「皆、何も言わないで、目を見開いて、青白い顔して立ってるわ。。。こわい。。。」
霊感がなくて本当に良かったと、心の底から思いました。
⛩️お墓の後ろに隠れた、女性創設者
ようやく、伺いたかった女性創設者のお墓に辿り着きました。
創設者の○○家の区画の中央に、お墓が建っていました。
私はマミコにたずねました。
私「□□さん(創設者)も、お墓の隣にいる?(ドキドキ😳)」
マミコ「お墓の後ろに隠れているわよ😃」
なんと!😳😳😳
⛩️女性創設者の言い分
私「なぜ、お墓の後ろに隠れているの?(堂々としていればいいのに)」
マミコ「人前に出たくないみたい」
女性創設者「{滅相もございませぬ。本当に、私など、何も大したこともしておりませぬ。何か申せることもございません!}※」
※台詞の中を{ }でくくったのは、私は聞こえていないのですが、
マミコが聞こえた台詞だということを表すためです。
マミコ「私なんかとてもとても、お話することもございません、だって。恐縮しているわよ。
お墓の後ろに隠れちゃって、
一歩もでてこないわよ」
歴史的人物のお墓にいき、幸運にも?ご本人が
墓の横に登場しているのでしたら、
聞いてみたいあんなことやこんなこと、そんなことまでたくさんあるのですが、
実際は、実在の人間と同じく、幽霊になっても
話したいことも話したくないこともあるのですね。
この女性女学校創設者は、江戸時代後期に
漢学を教える学者の家に生まれました。
書物を読むのが大好きな少女で
家にある書物は片っ端から読破しました。
本当は、家督は男子に継がせるものですが、
この家は彼女しか生まれなかったので、
父は娘に、お家芸である漢学を教えました。
当時、娘(女性)に学問を教えるというのは、
ぶっ飛んだ行為でした(笑)。
彼女は漢学の覚えも早く、ついには
父が不在の時は大人(男性)の生徒達を前に
堂々と父の代わりに講義をし、
男性門下生たちにも「おんな先生」と、
一目置かれる存在だったと、
彼女の伝記に書いてありました。
更には女学校を創設し、学校経営も行った。
日本の女性の高等教育の発展に
尽力したひとりなのです。
それほどまでの能力があるのに、
この頑固なまでの控えめさと謙虚さ。
令和の女性なら、発言の一言二言もあるでしょうに、
江戸時代の女性とは、「こういう感じ」だったのかもしれませんね。
椿あんこでした!
今日もお読みいただきありがとうございました。
スキ!もありがとうございます💕