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〈実話不思議😳〉死装束の霊たちが大行進する、大通り

椿あんこです。



今日はあんこ地方も、寒かったです~😱。
これぞ冬って感じです。

先日、テレビでやっていた映画『シン・ゴジラ』を観ました。
観るのはこれで4回目ですが、毎回ワクワクして観ています。


映画が封切りされた年は
聖地巡礼と称しまして、
ゴジラ第一形態の「蒲田くん」が
呑川から上陸した「蒲田駅東口周辺」や、
ゴジラ第四形態と自衛隊が多摩川を挟んで対峙する、
「丸子橋」や「多摩川浅間神社」などにも行ってみました。

懐かしいです😁。

しかし、ゴジラって、
陸地に上がってズンズンと歩いていただけなのに、
あんなに攻撃されて、
だから反撃したのかな😅、
なんだかかわいそうな気もします(笑)。



さて、
ここから本題。
今日は、母マミコ33歳の頃の霊体験を
紹介いたします。




⛩️マミコの実父の入院


隣の県に住んでいるマミコの父(私の祖父)が、
体調を崩して、県内の病院に
入院することになりました。


胃潰瘍、ということでしたが、本当は胃癌でした。
昭和の当時は、患者本人に本当の病名を知らされないことも多々あり、
みるみる痩せ細っていく父の姿に、
マミコは一抹の不安を抱えていました。




それで、マミコは
電車を乗り継いで、行けうる限り頻繁に
お見舞いに行っていました。

当時三歳ぐらいだった弟は、
自宅に置いていかれる(別の人が面倒見ている)のですが、
ある小雨の降る日、母恋しくなった弟がついに、
ひとりで長靴を履いて、子供用の傘をさして、
私道の90段の階段を
ひとりで1歩ずつ降り始めたことがあったそうです。

その日は父トシオ(仮名)が家にいたので、
こっそり3歳児の後をつけて行きました。



弟はお金も持たずに、



「ぼくもいまから○○びょういんいく!ひとりでいけるもん!」
と行く気満々😁。
無事に回収されました。



⛩️とある日の、病院帰りの交差点


家から祖父の病院までは、
ドアtoドアで、約2時間。
決して近くない距離です。

マミコは、わずかな面会時間でも父に会いたくて、
通い続けました。



面会が終わり、
マミコは病院を出ました。



少し歩くと、
四車線の大通りとぶつかる交差点がありました。
そこで、信号が青になるのを待っている時でした。



ドーーン。



ドーーン。



ドーーン。



ドーーン。




どこかで、大太鼓を叩くような音が聞こえてきます。

何か、お祭りでもやっているのかしら?
マミコは思いました。


ドーーン。



ドーーン。



ドーーン。



その大太鼓のリズムは、
ゆっくりでいて、
規則正しくて。
(そんなにお祭りのリズムっぽくないですね💦)



マミコ「工事の音かしら? なんだろう。。。」



キョロキョロしたマミコが、
もう一度横断歩道の方に視線を戻すと。




目の前の四車線の道路は、車が消えて、
大勢の人が歩く、歩行者天国のように切り替わっていました。



⛩️死者たちの行進


大勢の人たちは、
大通りの真ん中を何列かに分かれて、
何も言葉を発っさずに、
左の方向から右の方向に向かって、
順番を守って歩いていました。
歩く速度は、




ドーーン。





ドーーン。



ドーーン。



この、ゆっくりとした大太鼓のリズムにあわせて、
右足、そして左足、と、
ゆっくり歩みを進めていました。




マミコはよく目をこらして見てみました。



その大通りの大行列の人々は、
全員死装束を着ていたのです。




次の瞬間、
大通りはもとの、車が走っているいつもの道路に
切り替わりました。
信号も青になり、マミコは横断歩道を渡りました。



マミコ「今みた光景は、なんだったのかしら?」



あの大通りも、
もしかしたら霊道の大通り(笑)で、
それぞれの死に場所から最後は大通りに集合して、
大太鼓のリズムにあわせて歩みを進めながら、

あの世へと、行くのかもしれません。




そして、自分の父もいつか遠くない日に、
その行進に加わるのかなと、
マミコは思いました。




私たち、霊感のないもの達にとっては、
そんなものは視えませんので、
大通りにまさかそんな利用のしかたもあるなんて、びっくりですが😁。




マミコのお見舞い通いは、
もうしばらく続きましたが、
春のある日が、最後のお見舞いになります。

その日に起きた話は、また次回。





椿あんこでした。













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