人生の1/2をAKB48として過ごしたアイドルを推すのに人生の1/3を費やしたヲタクの物語
純度100%の自分語り、始めます。
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僕がAKB48にハマったのは大学進学を機に上京した2011年4月の頃。所謂エビカツ新規である。奇しくも同時期にAKB48に加入、デビューしていた12期生・大森美優にハマるとは夢にも思わず、当時の選抜メンバーを推しメンとしてAKB48に関する知識を物凄い勢いで吸収していった。この頃に大学で同級生とAKB48同好会(→アイドル同好会)を立ち上げるのだが、1年足らずで脱退する。この同好会が後に僕の人生に大きな影響を与えるのだが、それはまた別の話。
2012年夏、“研究生”に興味を持ち始める。選抜メンバーよりも研究生のようなマイナーなところで“美味しくなりたい”というキモ-ヲタクの感情が芽生え始めていた。当時は13期生を中心に研究生RESET(研リセ)をやってたが、本格的に研究生公演を見始めたのは演目が僕の太陽(14期加入後)になってから。
この頃、出会いが2つあった。1つは同世代のヲタクたち。初めて会った日に「やっぱ俺明後日の福岡(全握)行きますわ!」と秋葉原のサイゼで宣言するヲタクの背中を見て衝撃を受け、そこから毎日のように秋葉原のサイゼや劇場ロビー、博多満月(※閉店)orかまどか(※閉店)に入り浸りながらアイドルヲタクとは何たるかを学んでいく。大学も学年もある程度バラバラ(+社会人ピンチケ)、推しメンも異なる集団でお世話になり、その後のヲタクスタイルの7割がここで完成した。
もう一つの出会いが地上に現れた天使、大森美優ちゃんだった。前推しメンがチームK所属だったこともあり、米平騒動(+J兼任)の余波で頻繁にアンダー出演していた大森美優ちゃんの存在は知っていた。研究生公演に入るたびに「この子僕にレスしがちじゃない?(甚だしい勘違い)」となり、個別握手会に顔を出してみたところ、天使ちゃんだった。「この子、(握手券を)積んでも“美味しく”はなれないんじゃないか」というしょーもない予感は過ったものの、通うことにした。ちなみに顔はタイプではなく、12期だと他のメンバー何人か先に接触していた。ま、美優ちゃんがいちばん可愛かったけど。
こうして大森美優推しとしてヲタクをすることになったが、この頃ヲタクスタイルに関して心に誓ったことがある。それは「生誕委員を始めとした推しメンのコミュニティには一切所属しない」であった。当時の僕は斜構で、推し被りと馴れ合いたくないことも大きかったが、何よりヲタクを義務感、業務感でやりたくはなく、楽しいを追い求めるようにしたかった。そのため握手レーンでもなるべくヲタクから話しかけられないような態度をとっていた。最後にどういう帰結を迎えるかも知らずに、当時はそれを誇りに思っていた。
2013年初め、坊主が研究生に降ってくる事態にブチギレつつ僕太→パジャドラと高まる研究生熱。4月末には念願の推しメンの昇格が発表され、6月には研究生武道館公演が開催。平日の朝6時から武道館前で大富豪していたのはまさに青春だった。
この頃15期生がデビューし、色々と縁あってセイチャンのヲタクに転身しようとするのだが、ヲタク仲間に「推しメンが昇格したからってコロコロと推し変していいのか」と諭されて断念(その彼は13期からセイチャンに推し変したが)。梅田チームBに入門し、その圧倒的な層の厚さに惚れ込む。全握のライブで推しジャンしたりリフトしてもらったり、そういうのが楽しかった。TDC最前で全曲振りコピするヲタクに憧れたり、多くは語らないのにどう見ても“強い”ヲタクに惚れたりした。見様見真似でいろんなヲタクの要素を取り込んでいった。
順風満帆かに見えたヲタク活動。
2014年に入る前後から公演やライブで推しメンから“レス”が一切来なくなった。関東全握でのまとめ出しにヲタクが2人しか並んでなかったり、峯岸チーム4(2nd)のスタメンから外されたりと、本人的に最も堪えた時期の一つだったが、平行して僕も苦境に入っていた。それでもヘラヘラ楽しむ才能だけはあったので、マイペースにヲタクし続けた。この年、仲間内で流行ったフレーズに「こりんは一生ヲタク」がある。その後みんな就職や結婚、推しメンの卒業を契機にヲタク活動から離れていく中で自分は見事にヲタクし続けてしまい、本当に呪い…いや、祝福の言葉になった。峯岸チーム4全国ツアーだったり外イベライブだったりと、劇場公演や全握ミニライブ以外でもライブを観れる機会が多かったが、全くレスは貰えなかった。ちなみにヲタク人生でサインボールといった手渡し系は一度も経験がない。
2015年春にはいよいよ握手会でも推しメンと上手くいかなくなる。推しメンの同期🍀のフォローに助けられたりもしていたが、ついに限界を感じ、握手会に行くのを半年間辞めた。この間に推しメンは推し被りのコミュニティの力もあり総選挙初ランクイン。完全に疎外感を抱えた時期だった。接触は諦め、朗読劇を始めとした外イベだけ参加していた。
そんな折、転機が訪れる。大学のアイドル同好会に復帰していたところ、テレビ局から出演オファーが届いたのだ。それもあのAKBINGO!に。当時推しメンは1年以上同番組には出演できていなかったが、収録当日に渡された台本に推しメンの名前があった。ウケた。こうしてお馴染みのあのスタジオで奇しくも推しメンと共演(?)してしまう。
これのおかげで気が楽になり、実際推しメンとは何事も無かったかの如く楽しく話せるようになり再び現場に本格復帰していくのであった。この頃はネ申テレビとかなんとかとかとにかくメディア出演が多かった。一方でこの頃には一緒にヲタクしていた同世代の大学生ヲタクの多くが就職でヲタク辞めたり、他グループや地下に流れる等して、1人で遠征することが増えていった。1人でヲタクする難点は寂しさではなく、諸々の益を共有・享受できないこと。その点、イベントごとに(それまで関わりの薄かった)ヲタクの方々に大変お世話になった。
2016年春、推しメン主演の舞台が中野で数日間行われ、ほぼ全ての公演を観に行く中で、推し被りのヲタクの方々とも多く顔見知りになった。その後、推しメンが押上で行われるインターネット配信番組のMCを担当することになり、毎月のように大森推しの方々と顔を合わせて徐々に仲良くなっていく。そうしないと現場でやっていけない事情もあった気もするが、昔みたいにいちいち推し被りを気にするのがアホらしくなったのもあった。仲良くなった推し被りの方から「こりんさんと話せる日が来るとは思わなかった」とよく言われ、自分がどれほど昔は話したくないオーラを出していたかを思い知った。本当にすみませんでした。
秋には贔屓球団25年ぶりのリーグ優勝の裏で地上波で僕が大学の門の前でアイドルの曲を踊ったり、謎の美女軍団と合コンしたりしてる様子が流される地獄絵図を見る。チャンネルを切り替えるリモコンを持つ手の震えが止まらなかった、いろんな意味で。ちなみにその合コンの相手役の1人が数年後に推しメンと映画で共演する等、とにかく世界は広いのか狭いのかよく分からない経験を重ねていった。
2017年春、推しメンが高校を卒業し、僕も大学を卒業した(学生生活を卒業したわけではない)。
9月には大森ヲタクで京都に修学旅行に行った(推しメンに会いに行った)。この頃、こりん=女ヲタヲタのイメージが大森ヲタクの中で定着してしまった。ヲタクから言われても気にしていなかったが、推しメン本人が僕に対して同じイメージを持ってると知ったとき、終わったと思った(※終わってます)。
2019年1月、長年の夢であった「神田明神での48成人式で推しメンの晴れ着姿を見る」が叶った。それもビンゴ抽選1順で(朝6時から神社の境内で入順ビンゴ抽選するなよ)。ヲタクの神様の存在を信じた。半分寝ながら晴れ着姿で歩く推しメンに声を掛け、直接お祝いできてよかった。
同年春、修論の謝辞に推しメンの名前を入れ、8年間にも渡る学生生活を卒業し、社会人生活が始まった。推しメンのことを考える時間は減ったけど、特にそれ以外で変わることは無かった…CD購入枚数以外は。
社会人としての立ち回りにも慣れてきたし、これからもヲタク活動楽しめそうだなとなってた先にコロナ禍に見舞われ、どうすることもできなかったけど、今思えば一旦立ち止まって推しメンと適切な距離感を保てるきっかけになった。
2021年に入り、デビュー10周年という記念すべきところで、12期生10周年公演も行われたが、自分は入れなかった。ただ、この頃のステージ上の推しメンが近年ではいちばん輝いて見えた。声の調子はどう見ても悪かったが、線香花火が最後に明るくなるそれだった。劇場公演の日は退社即オンデマ起動して推しメンの声を聴いて一喜一憂する日々が続いた。そして7月に推しメンが休養に入った。約4か月の休養期間中、自分も何か頑張りたいと思って禁酒した。結果、健康診断の数値がびっくりするほど良くなった。アルコールはクソ。ちなみに推しメンが復帰するのを待たずして禁酒を諦めた(←は?)。
2022年に入るタイミングで、推しメンだけ通う縛りを撤廃した。倉野尾チーム4を終の住処、最後のチームとして捉え、ここで楽しみ尽くして終わろうと思うようになった。おめぐちゃん(顔ファン→全部ファン)、彩希ちゃん(来世はガチ恋)、ゆかるん(ママ)のとこに通い始めた。ヲタクに「こりんさん、大森のところでできなかったことを叶えようとしている節がある」と指摘されたけど、これはまぁ、半分は図星だった(残りの半分は別にあったが)。昔なら「推しメンによく思われないのではないか」と変に気にしていただろうが、そういう“推しメンからどう見られるか”を気にしなくて済むメンタリティを手に入れたことも大きかった。ま、単に推しメンがこちらに興味を持ってないだけですが…。
コロナ禍が続きライブで声出したりすることも、できないので、穴埋めのために一眼カメラを購入した。HADO会で推しメンを撮ることができて、カメラ購入費の3%くらいはもとが取れた。
団扇も作った。斜構時代には考えられない行動だけど、「ちゃんと大森のヲタクいるんやぞ…」という意思表示のためぶん回したところ、なぜか推しメン以外のところで結果を残した(前記事参照)。
この年の舞台は2種18公演全通した。楽しかったけど、今振り返ると正直意地になってたと思う。
ちなみに推しメンが舞台でそういう感じの役(ヒロイン)を演じるたびに心の中が荒れ狂った。ガチ恋かもしれん。
一生大森美優ちゃんのヲタクできるかもしれん、という謎の覚悟だか自信だかが湧いたのもこの年だった。
2023年に入った直後は2022年の反動で若干燃え尽き症候群になってたのと、仕事の関係で今年の後半からはヲタクし辛くなる未来が見えてたのとで、少し気を落としてた。それでもイベントに参加すると、そんな未来のことも忘れてヘラヘラとヲタクし続けた。学生のときと変わらずド平日の昼間からヲタクしてる自分の姿を、在りし日のあん誰おじさん達に重ねた。
5月、推しメンの卒業発表を劇場で聞いた。寂しさがないわけではなかったが、酸いも甘いも楽しみ尽くさせてもらった思いが強く、自分のヲタク人生の中でいまだに経験したことがない“推しメンの卒業”を見ることができることへの楽しみが大きかった。
推しメンが卒業発表してからも、今まで通りヲタクした。CD購入枚数もさほど変化しなかったし、手紙を書いて、劇場公演に入って、という所作もあの頃と何ら変わりはなかった。
唯一違ったのは委員に参加したことくらい。推しメンのヲタクを始めたときに自分自身に課した掟を破った。案の定、参加してみて自分の性に合うものではないなとは思ったが、楽しむことはできた。推しメンのヲタクはとにかく優しいので、当然僕にも優しかった。
委員の要素を除けばあまりにも普段と変わらないヲタク活動が続いたので、最後まで過去を整理することもなかった。推しメンからの最後のサイン色紙も、普段と何ら変わりの内容だった。卒業の実感を覚えることは最後の最後までなかった。
そうして迎えた推しメンの卒業公演。MVPでもなければ劇場スタッフからの認知もなく、何より昔から推しメンのコミュニティに入ることだけは拒み続けた私は、しかしながら脚立の上に立っていた。
500人の観客を前にステージ上でアイドルのコピーダンスをやったときよりも、全国放送の地上波番組で指原莉乃や太田光、長嶋一茂らとアイドルの恋愛の是非について議論したときよりも緊張した。
アンコールの口上もやらせて頂き、思い残すことなく卒業公演を終えることができた。ビンゴ抽選以外は。ヲタクの神様はいなかった。
こうして僕のヲタク活動の第1章は終わった。いや、前推しメンのときを区別するなら第2章か?今何章か分からないの、AKB48だけじゃないんだね。
いずれにせよ、こうして「人生の半分をAKB48として過ごした推しメン」を推し続けたヲタク人生に一区切りついた。
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…とまぁ、自分の結婚式で流したい(絶対流すべきではない)エピソードを羅列してみた。どのみち結婚できないので。
たらたらとここ12年くらいの自分を振り返ったけど、改めて振り返ると、
本当に多くのヲタクに出会い、支えられ、たくさんのことを学ばせて貰って、真似させてもらって、いろんなヲタクスタイルで遊ばせて貰ったこと。
学生生活を人の倍の時間過ごして、ヲタクし易い環境が続いたこと。
こういう恵まれた環境の中で、
大森美優ちゃんを推しメンにしたこと。
何事も前向きに楽しむ才能は我ながら人一倍秀でてたこと。
軸(推しメン)だけブレずに、付随物(ヲタクスタイル)をコロコロとモードチェンジできたこと。
が長々と楽しくヲタク生活を送れた要因かなと思った。全く深くもなんともない自己分析だけど。
ただひたすらに楽しいかどうかを判断基準にして、やるやらないを考えるのが自分のやり方というか生き方だった。推しメンのために…というよりは、自分がより楽しめるようにするにはどうすればいいかだけに重点を置いてきた。
今まで本当にたくさんたくさん推しメンがファンに向けて感謝の気持ちを述べる機会があって、MCだったりSNSだったり。そういう不特定多数相手の発信のときは、その“ファン”に自分が含まれてる感覚はほとんど無かった。
1対1でのやりとり、具体的には握手会・お話会だったり、そこで得られるサイン色紙の言葉も含めて、ありがとうと言われる機会は決して少なくはなかったけど、正直心に響いたことはあまりなかった。
これは決して推しメンの言葉が軽いとかそういうのではなく(むしろ推しメンの言葉は本当に綺麗で真っ直ぐだと思う)、単純に僕の心が捻くれ過ぎていた。
感謝されたい気持ちは人として持ってるはずだし、実際そうだったけど、いざ感謝されたときに「や、自分が楽しくてやっただけで別に感謝されるようなことは何も…」と首を傾げる、たぶん推しメン本人からしたら本当にどうしようもないヲタクだったと思う。でも感謝されなかったり当たり前に思われたらそれはそれでなんだかなって思っちゃうんだよね、たぶん。
そんな感じで、楽しいを追求して、実際本当に楽しかったヲタク人生だった。僕自身が何かを成し遂げたということはなかったし、推しメンを最初から追いかけてたわけではないので、凄く綺麗にまとまったヲタク人生でもなかったけど。
それでものらりくらりとヲタクし続けることができて、最後も僕も推しメンもちゃんとした形で着陸することができたのは、何にも代えがたい幸せだった。
あの頃に憧れた本当の意味で“強い”ヲタクにはなれなかったけど、納得のいくヲタク人生を過ごすことができた。
悔いはないと言ったヲタク人生だけど、楽しむことを優先し過ぎたあまり、振り返ったときに「本当にこれで良かったのか?本人のために何かできたんじゃないのか」と思ったりすることはあるので、その辺の折り合いをどう付けるかはヲタク人生次章の課題にしたい(一生ヲタク)。
最後に僕から一個だけ。
推しメンとの結婚に憧れるのをやめましょう。
よく“ガチ恋”というフレーズを自分のヲタクスタンスとして使ってきたけど、正直ガチ恋だと“自分の幸せ”≠“推しメンの幸せ”になりかねないので。
…結婚したい、美優ちゃんと。
終わり。
(もう一本だけ記事書きそう)