「脱システム」について考える 角幡唯介氏の「脱システム論」を思索する
ここのところ角幡氏の著作をいろいろと読んで、最近読んだ作者の中で一番共感するところが多いなと思うところが多かったです。
その中で話題になっていたのが、冒険の意義 についてです。
氏は、冒険の意義は、「脱システム」 にある、としています。
角幡唯介氏の「脱システム論」
まずは角幡氏の「脱システム論」について概観してみます。
上記の記述から、角幡氏は現代社会の成り立ち、そして制度などをひっくるめて「システム」と考えている ようです。
そこから飛び出ることによって、自分の生きている感覚を取り戻す。それが冒険 と定義しています。
この考え方に非常に共感を覚えました。もちろん小理屈野郎はここまで「脱システム」化は出来ないな、とも同時に思いました。
「システム」とは
つまり、ここでいう「システム」とは、上記のような人を取り巻くがんじがらめのもの なのですが、この「システム」の範囲は人によって違うのではないか と考えたのでした。
実際に角幡氏は結婚や子供が生まれたことによってご自身の「システム」の範囲を調整されています。つまり、それまでは衛星携帯電話もGPSも持ち歩かない探検をしてらっしゃいましたが、結婚し子供が生まれた後は、衛星携帯電話は冒険に携帯するようになったとのことでした。
次に、「システム」の範囲をその人なりにカスタマイズしたものを考えてみると、「脱システム」、というのはどの人にとっても非常に大事なもののように見えてきました。
小理屈野郎の(脱)システムを考える
ここで、小理屈野郎の「システム」の範囲について思索し定義して見ようと思います。
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小理屈野郎にとってのシステムとは
職場からの仕事に関する緊急連絡 ;それを支える携帯電話網
毎日のルーティン
家庭生活 ;否定的な意味ではなくむしろ大事なものですが、自分の生活の中のシステムとして組み込まれています
普段生活している生活環境
気温であるとか、気候も含みます。
等ではないかなあと考えました。
その上で、これらから「脱システム化」したと自分で思える行動を考えてみました。
小理屈野郎の「脱システム」行動とは
それはおそらく、一人でスキーに行くこと だと思います。
一度だけ、小理屈野郎は単独でスキー行をしたことがあります。
それは数年前で行き先は、以前に出ていたブランシュたかやまスキーリゾートで、一人で土曜日の夜出発。そして、夜半に到着し、ちょっと酒盛りをして車中泊。朝一番からスキーを楽しむと同時にスキーパトロールの方のお手伝いをさせていただき、午後3時ぐらいに終了。
山の麓に降りて日帰り温泉に入り、真夜中に帰宅、というパターンです。
家族と行くのも楽しいですが、一人の時はそれとは違った「冒険感」があるなあと思っていました。
小理屈野郎が上記の行動を「脱システム」行動と考える理由としては以下の通りです
物理的距離をとる
普段の環境から物理的距離をとることによって携帯電話網に入っていても、結局その場で対応することが出来ないので前もって単独スキー行に行くことを職場に報告しておくことで、あたかも携帯電話網からいないと思えるような状態になる。
また、自宅から遠く離れたところで一人で行動することによって自分の周りにほぼ知っている人がいない、知っている人がいても、スキー場の中での友達・仲間のみ(角幡氏がグリーンランド・シオラパルクに行って現地の友達と話をするのとおなじ状態です)です。ルーティンから離れる
上記のように車中1泊2日という行動が最低単位になりますので、完全にルーティンから離れます。自然の中に自分をおく
普段の環境から距離的・環境的に離れ、厳しい寒さで(平均-10℃ぐらいです)静かです。やることといえば、スキーで風を切ってコースを滑ること、そして食事を一人でゆっくりとったり、壮大な景色の中ゆっくりと紅茶などを飲むのみです。
そんな中で緩急を付けるように、パトロールのお手伝いをする、という感じです。
もちろんコースは自然の中ですがある程度管理されています。それは安全を担保するという風に考えています。
単独スキー行で、得たものは非常に充実した時間と心持ち だったと思います。
角幡氏は、自分が自分であるために冒険をする 、ともおっしゃっていますが、おそらくシステムから飛び出し生還してくることによって自分が豊かになることを実感する 。それも冒険をされる理由の一つではないかと考えます。
ほかに、有名人の方で考えるとトヨタ自動車の社長の豊田章男氏のレース活動や、芸人のヒロシ氏のソロキャンプも同じような「脱システム」の要素があるのではないかと思います。
特に豊田氏のレース活動については、「モリゾウ」というキャラクターに変身し、レースに参加することによって日頃いろいろと考え悩んでいたりすることをいったん脇において(脇におかないと命が脅かされる、おっしゃっています)、集中することに特に快感を覚えてらっしゃるようです。もちろんレースに参加するための練習などもレベルは違いますが同じようなものではないかと考えます。
小理屈野郎もスキーで本気で滑っているときは、最高速度は70キロ以上になっています(スマホのアプリで確認しています)。ヘルメットをかぶって、上半身には、スキーウェアの下にパッドの入ったものを着てはいますが、いい加減なこけ方をすると、最低でも骨折必至です。単独行であれば、帰ることもままなりません。装備(車も含めて)を家から400キロ近く離れたところに置き去りにする必要も出てきます。もちろんその後の仕事にも支障が出ます。小理屈野郎的にはギリギリの限界に自分の環境を持って行っている(=脱システム) つもりなので、豊田氏のセリフもすごく納得がいくところです。
ヒロシ氏のソロキャンプは、どちらかというと角幡氏の方向に振った感じのように見え、ヒロシ氏がソロキャンプに惹かれているところも十分理解できたところです。
システムから飛び出すことが人生では重要なのかも知れない
このようなことから考えると、どんな人でも、その人の定義するシステムから飛び出すことによって、人は生活のバランスをとっているのかも知れない と考えました。
その手法はいろいろで、海外旅行であったり、手芸であったり、読書であったり、ダイビングであったりするわけです。
この「脱システム化」に待ったを掛けたのが今回のコロナ騒動はなかったのかとも考えました。
まとめ
今回は角幡唯介氏の提唱する「脱システム」について思索してみました。
角幡氏の「脱システム」というのは非常に徹底したものですが、そこまでではなくても、各個人にとって「脱システム」一見不必要そうに見えますが実は非常に大事なものであると考えました。
今までは誰もが、何気なく「脱システム」していたけれども、コロナ禍でそれがままならなくなった、という状態も理解することが出来ました。
小理屈野郎としては、非常に卑近な「脱システム」としてデジタル読書をしていて、ちょっと本格的(!?)なものとして単独スキー行を今後もしていきたいなあと思いました。複数泊にもトライしてみたいなあと考えています。
それと同時に、冬以外に出来るちょっと本格的な「脱システム」的な行動を探していきたいと思います。