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パラレル読書とシーケンシャル読書について

今回は読書をするときにどのように書籍を読んでいくか について思索したいと思います。

まずは、記事の題名をご覧になって面食らった方もいらっしゃると思いますので、語彙の定義を行いたい と思います。

読書方法について 語彙の定義をする

パラレル読書

1冊の本だけを読むのではなく、並行して複数冊の本を読んでいく 、と言うスタイルです。
例えば、今日はガチガチの哲学書を読む気分じゃないから小説を読んでみて、ちょっと集中できるから哲学書に戻って、と言う風に自分の気分で読む本を変えていくような感じです。
気分によってメガネを変える、みたいな感じ です。

シーケンシャル読書

こちらは、ある本を読み出したら読了するまでその本をコツコツと読む、読了したら次の本に移る スタイルです。
こちらの方法だけに頼ると、場合によってはツボに嵌まってどんどん読了できる場合と、遅々として読書が進まない 、と言う状態になることがありますね。
そういう場合は、一瞬パラレル読書(=この場合は違う本に目を向ける)をするか、えい、と諦めてしまって違う書籍に移る 、と言うことになるでしょう。

以上のように言葉を定義した上で、まずはパラレル読書について考えてみます。

意外とやっている人は多いパラレル読書

いわゆる読書家、と言われる人達は結構パラレル読書をしている ようです。
Microsoft創業者のビル・ゲイツ氏は、一度に10冊を超える書籍をパラレル読書している ようです。
すごいですよね。映画で言ったら、10本以上を途中で九誌を入れながら、並行して観ている、と言う状態です。
筋がこんがらがらないのか、いつも不思議 ではあります。
最近、インターネットで氏の読書についてまとめた記事があったのでリンクを張っておきます。

日本ではたくさんの本を読んでいていて有名なライフネット生命の創業者、出口治明氏も、数冊の本をシチュエーションによって読み分けている とのことでした。
確か、氏の場合は、読書をする時間が限られているので、隙間時間の長さによっても読む本を変えている 、と言うような話だったと記憶しています。

小理屈野郎の読書方法

では、個人的な話になりますが、小理屈野郎の読書法法についてお話しようと思います。
小理屈野郎は基本的にはシーケンシャル読書 を行っています。
シーケンシャル読書を行っていると上記の言葉の定義でも言及しましたが、時々(いや、結構頻繁に)ツボに嵌まってしまうことがあります。そのパターンですがシーケンシャルに読んでいると、自分の未読のライブラリから関連のある題材のものを芋づる式に読んでいくことが多くなります。そうすると内容がどんどん深くなり、一定を超えると、自分の内面の器が飽和してくるのだと思います(芋づる式に読書をしているので急速に器に内容を入れていくことになるので)。そうなると、遅々として進まない状況になります 。こういう場合は、パラレル読書を行うことによってツボから脱出を図るわけです。そうすると快適に負担感なく読書が続くというわけです。
で、ある程度「ほとぼり」が冷めてからもとの書籍に戻る のですが、却って新鮮に読みかけの本を読める場合もあるし、完全に駄目になる場合もあります
完全に駄目になった場合は、読書途中でそのまま「積ん読」 になってしまいます。
以前にも積ん読について思索しましたが、それはそれでいいのですが電子書籍の場合、積ん読書籍を発掘するのが少し難しい のが残念なところです。

解決法としてはちょっと手間になりますが、Kindleの「コレクション」を新設し、それに「積ん読」とでも命名し、放り込んでおく 、と言う方法がありますが、小理屈野郎は、コレクションの表示をそれほど使っていないのでどこまで効果があるかははっきりしません。
紙媒体の場合は、積ん読コーナーをつくっているといやでも目に入ります。この効果は侮りがたい と考えています。

出来る人と出来ない人がいるのではないか

読書家と言われる人たちのパラレル読書と小理屈野郎のシーケンシャル読書を観てみました。
それらを観た上で思索してみました。
どうやら、パラレル読書を出来る人と出来ない人がいるのではないか 、と考えました。
ただし、この考え方には心理的な側面から、異論がありそうです。
人間は基本的にはシーケンシャルにしか物事を片付けられない 、と言う意見があります。パラレルで物事を片付けている、と言うことは細切れに物事を片付けていることになり、注意が散漫になり、結果として物事をきっちりと裁けていないのではないか 、と言う論調です。
ただし、色々な人の行動を観ていると、並行して物事を片付けるのが得意な人もいるようです。
料理をするときには、一つ一つお品をつくっているといくら時間があっても足りません。ですので、段取りを考えながら、最低限の時間でつくる癖がつく人が多いようです。出来ている料理は別にシーケンシャルでつくるのと遜色がないものをつくれるわけですから、結構そういう人も多いのかも知れません。
小理屈野郎の場合、大学院に在籍したとき実験をしなければならないときがあって、そのときは並行で物事を進めないと、結局結果を出せない、と言うことがありました。
そのとき、まずはタイムラインに仕事を書き出して、どの順番でどのようにする、と言うのをあらかじめ決めておいて、そのタイムラインに則って並行作業を行う 、と言うことをしていました。そのタイムラインに乗っているときは、その作業だけに没頭すれば良いので、並行作業をしているにもかかわらずすごく気楽 だったことを思い出しました。
それほど複雑なものではなかったのですが、とても頭の中だけでは出来ない芸当 でした。

このように考えると、並行作業が得意な人と不得意な人がいる 、と考えるのが妥当なようです。
この結論から考えると、パラレル読書が必ずしも優れているというわけでもなく、シーケンシャル読書が本筋、と言うわけでもないことが分かりました。

まとめ

読書を進めるに当たって、パラレルに書籍を読むことと、シーケンシャルに書籍を読むことについて思索してみました。
パラレルに読むことと、シーケンシャルに読むこと、それぞれにメリットとでメリットがあると考えました。
読書家だからパラレル読書をするというのではないと考えました。目立つから記事になっているだけではないかと思われます。
また、読書家の方には並行作業が得意な人も結構いると言うことだと考えました
並行作業が得意な人の場合はパラレルに書籍を読むことも可能である可能性が高く、並行作業が不得意な人の場合は、シーケンシャルに書籍を読むのではないかと結論づけました。
書籍の読み方は、人に強制されるものではなく自分の性格や性質に合わせて、うまくやっていけば良いのではないか、と考えました。


小理屈野郎は、並行作業が得意ではないので、パラレル読書は向いていない と考えます。しかし、シーケンシャル読書ではツボに嵌まることがありますので、そういうときにパラレル読書や、積ん読を利用していこうと思いました。

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小理屈野郎
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