キース・へリングという画家
キース・へリングをご存じだろうか。
POPな絵が印象的な近代画家で、ユニクロのTシャツになったり、いろんなブランドとコラボしたグッズがあったりと、身近に存在するので、一度は目にしたことがあるのではないかと思う。
POPな絵は好きだ。わかりやすいメッセージ性やカラーリングはどこか惹きつけられてしまう。とはいえへリングというと、赤ちゃんの絵や天使やピラミッド、丸い手足の人形のような人がたくさん書かれた絵など、明確な意味がわかるものを知る機会がなかった。
そんな私がへリングを知るきっかけとなったのが、森美術館で昨年実施された個展。にわかへリングファンとしてへリングをより知るべく、いざ!レッツゴーである。
余談となるが、ライブに行くと、そのライブの歌手のファンになることがよくある。特にライブのバイトをしていた時には、興味もなかった歌手のCDを日雇い賃金のお金で帰りによく買ったものである。
恐らくは、友達のバーターとして行ったライブで、その歌手にハマった方もいるのではなかろうか。
心が躍ると、人はその人に惹きつけられてしまうものである。そして私はへリングをさらに好きになってしまったわけだ。
唐突な話になったら申し訳ないが、今回の鑑賞でへリングは同性愛者だったと初めて知った。私は同性愛者ではないが、その人が考えていることを知ることが好きな性格で、なぜへリングがその絵を描いたのか、なぜそんな行動を取ったのか、ルーツを知り、共感したとき、人として勝手に好感を持ってしまう。
へリングはエイズで亡くなる瞬間まで、エイズ撲滅と平和を夢見て走り続けた。その過程はへリングの描いた絵に全て詰まっていて、その全ての力強い息づきに美しさを感じてやまなかった。
サブウェイドローイングというシリーズがある。駆け出しのへリングが自分を知ってもらうために地下鉄の空き広告のスペースに白いチョークで書き殴った絵の数々、今でいえばSNSの発信のように手段を選ばず風刺画を描いていた。努力が実り著名となった後、自身の恋人がエイズ(当時はゲイキャンサーと言われ、原因不明の病気だった)で亡くなってしまう。そして自らの命も長くないことを悟ってからのへリングは、まるで生きている証明をするかのように活動をしていたように思う。そのすべてが自分のためではなく、未来に向けたメッセージに注力していて、足跡だけを見ると、その時間を楽しんでいるのか、走り続けていないと不安で押しつぶされそうだったのか、知る由はなかった。ただ、へリングが日本に何度も来ており、渋谷での動画や広島で個展を行ったときのポスターを拝見した時は、人として身近にも感じたもので、在りし日の情景に思いを馳せざるを得ないというものであった。
ということで、出口のグッズショップで2万少しの出費をしてしまったことは私の誇りであるとともに、その一部がエイズ撲滅の寄付となり、私のへリングへの尊敬の念がへリングに届いてくれるなら嬉しいものである。
もし、このnoteを見てキース・へリングをよく知っていなかった方がいるとするならば、ぜひへリングの生き様に一度寄り添ってみていただきたい。
きっと自身のこれからの人生をどう生きるべきか、考えるきっかけの一助となると確信してやまないものである。
生涯、へリングのファンとして自身の生き様も綴りたい、そう思う自分でいたいと思える、そんな今日。