夏を振り返る男(長いです)
だんだんと振り返るタームが大きくなっていっている。
開設当初は「2週に一回くらい更新で〜」とか言っていたのに。
まあでもほら、物事っていうのはさ?狭いとこだけ見ててもさ?アレだしさ?
たまにはマクロな視点っつーの?そういう感じで?広く振り返るのも大事っつーか?マクロな視点っていうか、超時空要塞マクロスな視点っていうか?マクロスFな視点でヤックデカルチャーしていこうぜっていう意思の表れみたいな?わからない人はマクロス観てください
本題に戻りましてまだ終わっていないであろう今年の夏を早々に振り返ると、FF16をクリアしたり、レイトショーで君たちはどう生きるかを観た帰りに隣に座っていた女性に声をかけられたり、METEO NIGHTを観にいったり、おじさんだけで浴衣着て花火を観にいったり、SONIC MANIAを観にいったりと、かなり「夏で、夏休みだった」(出典:涼宮ハルヒの憂鬱)という様相を呈しておりました。
ありがたいものでいわゆる"夏フェス"というものにもいくつか出させていただきまして、これに関してはほんと連れてってくれる周りのアーティスト達に感謝。俺は何もすごくない。みんなありがとう、という気持ち。
社会人の皆様も夏のボーナスとか出るんでしょう?そういうものがこの世にはあると聞いたことがありますよ。それと一緒だと思ってます、夏フェス。
で、今年の夏フェス出演は特に個人的に思い出に残ったんですよね。
あれは振り返ること20年前、2003年の夏だった….
当時高校2年生で軽音楽部に所属していた有島少年は、かねてより誌面のみで知って憧れていた"夏フェス"というもののに満を辞して行くことになる。
初めての夏フェス、それがROCK IN JAPAN FESTIVAL'03 でした。
↑当時のライブレポ アツい!
有島少年が行ったのは確か3日目。行きの電車でポカリスエットを飲み過ぎて到着そうそう気持ち悪くなり、ART-SCHOOL~Syrup 16gを遠くに聴きながら木陰でしばらくダウンして「これが夏フェスか…過酷だ…」とあらぬ勘違いをした記憶があります。この時に遠くで聴いた2バンドが今もなお活動を続けているというのもすごい話。
そしてRIP SLYMEが大トリで、当時は「ロックフェスなのにラップがトリかよ!」みたいな批判?というほどではないけど、そういう空気もあった気がしますね。今じゃあ海外だってフェスの大トリがラッパーなんてザラですが。
初めての夏フェスを体験して「俺も夏フェスとか出れるようになりてえなあ」と有島少年は漠然と思うのです。
そんな"初めて行った夏フェス"のROCK IN JAPAN FESTIVAL。
そこから5年後…
22歳となり、大学も中退してすっかりおしまいバンドマンとなってしまった有島青年は、友人2人とかねてより憧れていたフェス、北海道のRISING SUN ROCK FESTIVALへ鈍行で(!)向かうのです。
上野駅を早朝に出発し、青春18きっぷを用いて青森まで電車を乗り継ぎに乗り継いで、青森から札幌までは夜行列車はまなすに乗車。夜行列車とはいえベッドに寝れるわけなどなく、乗車率が体感30000000%くらいあったので、札幌までの7時間半を廊下で体育座りしながら過ごす地獄道中。
そんな想いをして片道20数時間かけて辿り着いたのがRISING SUN ROCK FESTIVAL 2008。
↑当時のサイト、残っていてくれてありがとう。
とにかくこのRISING SUN ROCK FESTIVAL 2008というのが有島青年に多大なる音楽的ショック(もちろん良い意味)を喰らわせてくれまして。
このアーティストラインナップを観ていただければわかります通り、めちゃくちゃイケてるわけですよ。
もうこの時の体験がいまだにずっと残っていて離れないのですわ。(特にShing02、小谷美紗子トリオ、二日目朝一の怒髪天、V∞REDOMS、LOSALIOS、朝陽とともに浴びるスカパラ、忘れられない。)
そして「絶対にこのフェスに出たい…!」とおしまいバンドマンとなった有島青年は強く思うのです。
そこからさらに5年後…
おしまいバンドマン街道をまっしぐらの有島青年は相変わらずバンドをいくつも掛け持ちしていろんな楽器を演奏していたのですが、ついに憧れのRISING SUN ROCK FESTIVALに出演が決まります。
そう、0.8秒と衝撃。でドラムでの初出演です。
今見ると、前日にtricotやBO NINGENも出てたんですね。みんなすげえよ。。。
同日に快速東京(ダチ)もいて、フェスのバックヤードで友達とはしゃぐ、みたいなことにも憧れがあったので、めちゃくちゃ楽しかったんです。
そして「これが記念の一回きりにならずに、また出てえな…」と強く思うのです。
2019年夏
有島少年だった頃、一番傾倒したと断言できるバンドNUMBER GIRLの再結成の報が流れる。一度も生で観ることができなかったNUMBER GIRL。そしてその再結成一発目の地は、RISING SUN ROCK FESTIVAL 2019。
https://rsr.wess.co.jp/2019/artists/timetable/
なんとそのRISING SUN ROCK FESTIVAL 2019、NUMBER GIRL復活の日と同日、おしまいバンドマンおじさんの入り口くらいに立っている有島はドレスコーズで出演予定でした。
でした、というのはつまり結果から言うと、この日台風がドンピシャで北海道に直撃。中止になってしまったのです。
中止の報せを前日の夜にケータイで知らされたわたしはそのままベッドで丸一日寝たきりになってしまいました。髪の毛も一瞬で白髪になりました。それはうそです。とにかくそれほどショックだったのです。
そこから悔しさとやりきれなさを抱いたまま、時代はコロナ禍に突入。フェスなど開催中止や延期が相次ぎ、ライブ自体も声出しはおろか、そもそも人を入れない配信ライブなども多くなっていきました。
さてすっかり前置きが長くなりましたが、そんな様々な想いを抱えたまま4年。コロナ禍も落ち着き(とはいえ最近また流行ってるからね!気をつけて!)、
ついに今年2023年。
初めて行った夏フェスから20年。憧れたライジングから15年。初めて出演したライジングから10年。
この長い年月分の想いへのご褒美かのようなスケジュール…!!!
RISING SUN ROCK FESTIVAL1日目と2日目のトリでダブルヘッダーからの徹夜でそのままROCK IN JAPAN FESTIVALに出演!
キツイよ!!!!!!
いや、嬉しかったですよ、正直めちゃ嬉しかったですよ。ライジング出番終わってすぐ帰るみたいな可能性もゼロではなかったですしね。ダブルヘッダーで二日間いれる分いっぱいライブ観れるしね。ケータリングだってさ、基本的に食べ放題なわけで、そりゃ鈍行で来てテントで過ごすよりも快適ですけど。とはいえ、
なかなか極端だったね!!!!!!
でも意外と疲れてなかったですね。結構ずっとライブ観て過ごしてたんですけど、ほんと良いこと言おうというつもり無いんですけど、ライブ観ると元気になるんですよね。足とか疲れてるはずなのに、ライブ観てノッてるとそれも忘れちゃう。ライジング2日目のドレスコーズまで休んでな、ってみんな言ってくれてたんだけど全然元気に過ごしてしまいまして。そんでそのままロッキン行って、さすがに飛行機では爆睡したけど、ロッキンも大雨のJuice=Juice観て帰るくらいまでいましたからね。なんかどんだけ音楽好きやねんって自分で思いましたね。もしかして俺ってどうやら音楽が好きなのでは…?という気持ちになりました。
そして改めて書くけどここまでの話で、俺は何一つすごくないです。こういう思いができているのも、周りの皆さんのおかげ。なんかたまたま付近にふわ〜っと居たから連れていってもらえてるだけ。もうほんとにありがとうございます。
とはいえやっぱり、自分のソロとかバンドとかでもフェス出たりしたいよね!先述した通り、たまに出るボーナスみたいなものなので、フェス出てる方がすごい、ということは全くないんだけど、こんな記事書いて人の名前借りてイキってるみたいで恥ずかしいじゃないですか?
そのためにはまず何をしたらいいかって?
己の作品のリリースだよな!!!!!
だよな!!!!
よな!!!
な!!
!!
!
…
ありがとうございました。
・これまでフルアルバム3作(うち1作はCD2枚組)とEP2作、全楽曲の作詞作曲歌唱演奏を自分でやってリリースしました。リミックス、楽曲提供もいくつかやりました。ご興味あるレーベル様、ライブ制作会社様、マネージメント会社様などいらっしゃいましたら、是非一度お話しましょう!マジで!
・これだけ長文書いたから次の記事は年末くらいの「今年を振り返る男」になっても許されるよね?