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第4の引っ越し
村は、とにかく雪が降った。
冬場は、勤務校への15分の公道が雪に埋もれて出勤できない日もあった。
これでは、仕事にならない。と思い、赴任2年目にして引っ越しを決意。
8畳和洋二間8畳キッチンダイニング 風呂トイレ別 月5000円
の格安教員住宅から
勤務校のグラウンドのすぐ脇にある
6畳和洋二間(キッチンダイニング兼) 8畳洋一間 月11000円
の教員住宅へ移りすむことを決めた。
教員住宅とは
私が勤務する県では、新採用交流として自宅から離れた勤務校での勤務を行う。最大4年間、私が採用された当時は、仮宿義務が課せられていた。
そんな若手の教員は、貯金もなく住む場所もない。そこで格安の教員住宅が人気となっている。
幸い、私がお世話になった2つの教員住宅は、どちらもきれいで快適な生活を送ることができた。しかし、課題もある。
プライベートは、ない。
教員住宅である限り、私の身分は誰もがわかる。生徒はもちろん、保護者、地域の方々、郵便配達員にタクシーの運転手まで、
この家に住んでいる人は、学校の先生
とわかるのだ。当然、そんな場所で、自由気ままに自堕落な生活等送れるわけもない。洗濯物も気楽に干せない。窓を開けて換気をしようにも、人目は気になる。飲み屋に行っても、身バレは必然。
欠勤すると誰か来る。
身体の弱さもあり、年に2回ほど年休で欠勤した。
すると、必ずと言ってよいほど、誰かが来た。
ある時は、隣に住む別の学校の先生。
若手の教員である、プライベートもままならぬ生活を送る同志、
咳き込めば隣まで聞こえているのだろう。
薬や飲み物、おにぎりなんかをくれる人もいた。
連絡先をくれる年上女性もいた。
善意なのか、好意なのか、
素直に受け止められない自分の汚さを嘆いた。
生徒が来ることもある。
先生、大丈夫か~!?いえええええい!!!!
やめてくれ。頼むからやめてくれ。
と思いながら、
おう!明日はちゃんと治していくよ!
と引きつった笑顔でベランダに出た。
うわっ!本当に出てきた!!本当に住んでるんだ~!!!
完全にはめられた。要注意である。
体調不良で正常な判断ができなかったのもあるが、
この手の呼びかけに反応してはいけない。
以降、私のプライベートは皆無となった。
マップ機能は真実を見抜く。
この当時の私は、家での生活は風呂寝る朝の支度のみだった。
平日は朝8時前に出勤、夜は11時に帰宅すれば早い。
休日は、朝6時から部活。1日中、練習や練習試合をし、夜は飲み会。
深夜に帰宅した記憶がうっすらとある、というような毎日だった。
私だけではなく、何人も似たような生活をしていた。
ある日、私のスマホのマップ機能が訪ねてきた。
あなたの自宅はここですか。
そこは、勤務地でございます。
4回目の引っ越しは、私に教師であることを強いた。
生活のすべてを教員として送ることを求めた。
5度目の引っ越しの荷積みの時、
荷物の段ボールは、教材とお別れの手紙と贈り物でいっぱいになった。