人間関係の悪化がもたらす未来は意外と明るい
このnoteを始めたのが10月の初め、そろそろ2ヶ月が過ぎようとしています。
今年も残すところ1ヶ月、コロナに全部持っていかれたような年になりそうですね。
振り返ってみると、仕事・プライベート共に人間関係の変化が生じ始めたのが3月頃(更にその兆しが見えたのは2019年11月)で、コロナウィルスという名称が聞こえ始めた時期に重なります。
私の生活サイクルや仕事内容は変わらないのに、なぜかまわりの人が責任を放棄して逆ギレ・悪態を吐きながら去っていく出来事が続いています。
そんな人が現れるたびに、深く傷つき、悩み、自己反省を繰り返していました。(このnoteにはそんな私の感情の波を書き残しています。)
ですが最近、あまりにも理不尽な形や唐突な人間関係の悪化が続き、これはもう私がどうこうという小さな反省事項で乗り切れることではなく、なにか別の大きなうねりなのではないかと感じるのです。(自己反省を放棄しているわけではありません)
過去1年起きてきたことは、この先の新しい世界へ進んでいくために必要なことだったのでないかと。
人が離れていったことで自分がどんどん身軽になれている感覚があり、本来やりたかったこと、理想の生活イメージ、積極的に関わりたいと思うヒト、生涯取り組みたい事業など、真っ白なキャンバスへ自由に描ける喜びのような、希望の光が心の中に生まれているんです。
そして心の中の光のイメージを追うと、心拍数が少し上がって、何かにワクワクしているときと同じ感覚になるんですよね。
気持ちの変化のきっかけ
つい最近、お仕事を依頼していた相手にとても失礼な態度をとられ、縁を切られることがありました。
取引先の担当者が繰り返す過失を注意したところ、所謂逆ギレの果てに暴言を吐いて去っていきました。
しばらく凹んでいたものの、その時に注意しなければ期限も守れないまま案件を完結出来ないため、言わないわけにいかなかった。
その相手は私と友人になることも望んでいたようで、仕事後に食事に食事に誘われたり、プライベートの悩みを励ましてくれたりしていました。
しかしベースが仕事のつながり、さらに私がクライアントの立場である以上、「俺は男だ」とか「プライベートで助けてやっただろう」など意味のない暴言を吐かれても関係なく、まして公私混同されても困るわけで。
典型的な『マウンティングタイプ』の男性でしたが、結果的に仕事が出来ないことを自分で露呈して去っていったわけです。
一見自分に良くしてくれる“良縁”のような出会いも、本質的な自分のフィルターを通せば、まったく必要がないどころか足枷になっていた(またはなる可能性があった)んだなと。
自分で自分にウソをつくわけにいかない、
それだけは譲れない、これがワタシなのです。
そして自立するために必要な心の筋力がつきました。
未来の私は?
自分の気持ちに正直に生きる、そしてこの心の光を具現化し多くの人に届けたい。
コロナと共に訪れた変化のおかげで、私も進化しました。
こんな風に私と同じような経験をしている人がたくさんいるような気配を感じます。
今はとても辛いことが起こるけれど、この先に必ず報われる未来があることをひとりでも多くの人に伝わりますように。