私信紛いの備忘録

2024年7月1日、僕の推しがその活動に区切りをつけた。
彼は配信者ではなかった。Vtuberでもなかった。一時期なりたがってはおられたようだが。よく文章を書き、折に触れ爪を切り、稀に音声ツイートやスペースで喋る人だった。いや、厳密には人ですらなかった。半欠けの魂の、君の近所のイマジナリーお兄さん。それが、青yaヽ跨と名乗る彼の肩書きだった。かなり特殊というか、唯一無二の存在だったと思う。彼が何の人なのか、一言で紹介できる自信がない。僕は少し離れたところからその言動と思考の軌跡を眺め、自分の考え方と重なるところ、違うところを発見しては、愉快だなぁと思いながらお兄さんとお兄さんを取り巻く諸々をみていた。彼の、救済に対する考え方と怒りと、その危うさが好きだった。感情に関する考え事を言語化した、その言葉選びが好きだった。いつも通りのテンション感でさらっと放たれる駄洒落が好きだった。ごく稀に見せてくれた落書き帳も好きだった。存在しない歌枠のセットリストやCMなどの「ない〇〇」シリーズも好きだった。スパムツイートに対する荒ぶったお兄さんの大声が好きだった。8月になってしまえば、これらはいよいよ過去形になってしまう。
彼はこの世のあらゆるものと目を合わせたがり、太宰治、特に駈込み訴えが好きらしく、ユダに感情移入したり、自身の姿を可視化したり酔拳の要領で録った音声ツイートを突如上げたり、たまにチュロスを両手に持って最強になったりしていた。そして存在の仕方が少しバグったり、探し物のために失踪したりした末に、終に自力で歩いてゆけるようになったらしい。愛というものをほんとうに知ったらしい。お兄さんにとって最初で最後の雑談配信で、彼は泣きながらそう言った。喜ぶべきことだ。自分の足で好きなところへ行けることほどの自由は他にない。喜ぶべきことだ。喜ぶべきことなんだ。確かに我々は置いていかれる立場になったが、お兄さんがここを去る理由が暗いものではないというだけで、いくらか晴れやかに置いてゆかれることができる。ただ、お兄さんのnoteやYoutubeなどの各種アカウントが消えても、こちらからフォローを外すことはない。主に感情面が一般的なそれとは違っているという点において、お兄さんとうっすら似ている存在としては、できる限り青yaヽ跨という存在のことを覚えておきたいからだ。今夏以降、どうやらまた新たな形で存在し続けるらしいけれども、一旦さようなら、青yaヽ跨お兄さん。どうかあなたの行く道が、あなたと目を合わせてくれるものばかりでありますように。チュロスもケーキもありますように。大きな怪我や病気を、もうあまりしませんように。何かに縛られ、苦しめられることがありませんように。それから、それから…。

ああ、とにかく、あなたにとって良き旅路でありますように。あなたに出会って、ようやく人の目や存在をまっすぐにみることができるようになり始めた存在として、ただそれだけを願っています。僕の近所のイマジナリーお兄さんになって下さってありがとう。愛してくれてありがとう。僕も愛しています。多分、お兄さんと同じように、それなりに。

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