見出し画像

喪中ハガキまわりのあれこれ

先日喪中ハガキを見る機会があって、思ったことがある。
水蓮か何かの花のモチーフがあしらわれたハガキだった。命がなくなった知らせの手紙に、別の命がくっついている。不思議だな、と一瞬思ったが、そもそもお葬式は花まみれで出すし、お墓や仏壇にも花や果物を供えたりする。そう考えれば、別に不思議でもないのか。遠い昔に親戚のお葬式に参列した時、棺の周りの花ごと火葬されていて、漠然とした恐ろしさのようなものを感じていたような気がする。何も関係なかったのに、人間以外の命が殉死していた。まあ、花がないお葬式は殺風景で寂しいと思うし、花を供える時の気持ちも理解できるから、この文化を批判したり否定したりするつもりは一切ないが。一番最初に、弔いのために花を使うことを思いついた人は誰なんだろう。命のなくなった人を、命を以て送るかたちは、意図的だったのだろうか。

それから、これは確か仏教の話だったと思うのだけれど、「故人に供えたものや弔いの気持ちは、あの世で100倍になって故人に届く」というのがある。だから一本でもいいから花を供え、少しでいいから手を合わせなさい、と続くのだが、これもすごい話だな、と思う。世界中の花を全て集めて一つの墓に供えたら、あまりの花の量に圧されて、あの世でもう一度死んでしまうのではないだろうか。(個人的には、肉体が無くても人は死ぬと思っている)。もしそうなったら、二度目の死後はどうなるんだろう…とかいうことを考え出すと止まらなくなってしまうので、もうやめよう。こういう、人を選ぶような話題ほど筆が進むのは、僕の悪い癖だ。

いいなと思ったら応援しよう!