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気づきと受容
「358」という数字の意味を、皆さんは知っていますか?
釈迦が悟りを開いた歳が、35歳と8ヶ月の時だったと言われています。
そこから「358」は、縁起の良い数字として扱われているそうです。
私は、今までやりたかったことや、やりたいと思ったことをずっと蔑ろにして流されるままに今を乗り切るために必死に生きていました。
でも今年と来年の2年間だけは、私のやりたいことをやる年にしようとずっと考えていたんです。
だけど「今」をいきなり変化させることは思っていた以上に難しくて
例えるなら、今まで来た道から外れて、道の横にある藪に飛び込んでそこを突っ切った先の世界に向かおうとしているのに、突然足元の道がぬかるんで足が抜けなくなったみたいに今いる場所から動けないみたいな
そこから、私は言葉にできないほどの無力感と悲しみに苛まれ、そのぬかるみを脱するほどの自らの力のなさに絶望し悔やみ、かなり精神的に参っていました。
頭の中を巡るのはいつも
なぜ今、自分を優先させてあげられないのか
なぜ今、この場所にまだ留まっているのか
なぜ今、やりたい事が出来ないのか
何が1番辛かったって、変化する事が妨げられてそれに屈して自分が変化しなかったことに対する怒りと悲しみでした。
今を生きるということが、苦痛で苦痛でたまらなかった時ずっと目につく数字があって、それが「358」でした。
悟りを開けと、今の現状を受け入れろと言われているようで苦痛でしかなかったのですが、ある時「357」という数字を見た時にふと思ったんです。
釈迦は、悟りを開く1ヶ月前にどれだけのことを思ったんだろうと。
その1ヶ月があったからこそ翌月に悟りがひらけたのかもしれないと。
だから、このぬかるみをこの今の状況を、私の願いを叶える為に必要な期間なのだと思おうと。
そして、それなら私はこのぬかるみにいる間、ここでしか見出せない事を見つけようと。
そう思えた時、しんどさしかなかった毎日がその時を境に息を吹き返したかのように鮮明に色を取り戻していきました。
あぁ今日も生きていると深呼吸をして顔を上げて朝玄関を出て行けるそんな今を取り戻せたこと。
それが本当に幸せで感謝しかなくて
今を乗り越えた先に私の願いが、幸せが、必ず待っていると今信じられるのは、あの時の「357」と、あの気づきのおかげで
よい気づきを得ることができて
本当に感謝しかないなと
改めて今日も
美味しい空気と美しい太陽をみて
しみじみと感じ感謝しながら
生きていきたいなと思うのでした