僕の美容師(2022年8月・2023年8月)
僕は美容師は変えないタイプだ。中学3年生から浪人生まで4年間同じだったし、大学生になって東京に出てきた後も32歳まで足掛け13年間ほぼ同じ人に髪を切ってもらっていた。
13年間髪の毛を切ってもらったその人の、そろそろ一周忌だ。今は、その人の同級生であり、同僚の人に髪を切ってもらっているのだが、ついこの前に髪を切りに行ったら「来週、一周忌なんです」と言われた。
おぉ、もうそんなに時間が経ったのかと、驚いた。
その人とは、当然だが客と美容師という関係なので、1ヶ月もしくは2ヶ月に1回会うだけなのだが、13年も切ってもらったので100回は会っている。
その人の異変に気がついたのは、予約を取ることができなくなった2022年10月のことだ。その人はチェーンの複数の店舗を回るので、今時なのだがInstagramでどこの店舗に、いついるかが案内される。だが、9月分を最後に10月分が更新されない。InstagramでDMしても返信がなく、私はしょうがなく本拠地である渋谷に電話すると「今は取れないです」という回答だ。
なんか嫌な感じした。「ご病気ですか?」と聞いても、答えてくれない。はぐらかされる。しょうがないと、僕は1ヶ月待つことにした。
ただ、見える情報は悪くなるばかりで、Instagramの表示は予約はできませんの文字が増えて、各店舗からその人の情報が消える。
11月になると出産と家探しで忙しくなり、すぐに髪を切りたくなって、美容師の勤めるチェーンの別の店舗を予約して、髪を切りながら話を聞くことにした。今や、チェーンでも偉い人になったので、みんな当然知っていると思った。
その店舗に髪を切りに行って、名前を出してみると知っているのだが、近況は知らないという。その店舗はチェーンでも直営店ではなくて、フランチャイズで本体のことはよく知らないという。抜かった。その話は聞いていたからだ。
また、カットも酷かった。僕も13年も同じ人に切ってもらっているので、いつも「短め」「長め」くらいしかお願いしない。髪の切り方のお願いの仕方を忘れ、相手も若いしで韓国アイドルみたいなボブにされてしまった。
結局、情報が増えない。しょうがなく、僕はその人が髪を切っている有名人にTwitterで連絡をすることにした。DMは出来なかったので、まずはツイートに返信するとDMで折り返しが来た。
そこには、「友人から聞いたところによると、亡くなったそうです。ご自宅で亡くなってたとの話しか聞いておらず」との返信があった。
嫌な予感が当たってしまった。
そして、自宅という言葉から自殺じゃないかというさらに悪い予感がした。自殺だと思うと、なんだが不安な気持ちに襲われた。
もう13年も髪を切ってもらっていると、僕だけが定点観測されていたわけではなくて、その人のことも多少知っていた。
僕の3-4歳上で、福岡の専門学校から出てきて、最初は歌舞伎町のキャバ嬢の髪をセットするところからキャリアが始まり、セットで人気になるもこれじゃぁダメだと思ってカットをキチンとやるようになった。僕はその頃からの客だ。腕を上げて、客がつき、店長になると厳しくて人がどんどん辞めていって、悩んでいた。それでも、チェーンで偉くなるために自分でカットのイベントを企画して、認められてチェーンの本社のある渋谷の店長になり、そして地域統括になり、最近になると社長から直営店を買い取らないかと提案されていた。
仕事と並行して同棲、結婚、1人目の出産、自宅の購入、2人目の出産をずっと聞いていた。2人目の子供は、うちの1人目の子供と同じ年齢だ。
簡単に言えば、少し先のキャリアを行く僕にとっては兄貴分だった。そんな人が、もし自殺だったらと思うと、なんか不安な気持ちになった。
もう身近な人に話を聞きに行くしかないと思い、12月になって渋谷店の今の店長の予約をとった。行くと、店長も意図が分かっていて、「彼の件は、髪切った後にお伝えします」と言われた。店長には、結局今も切ってもらっているのだが、亡くなった美容師と専門学校からの同期で、途中上司部下の関係であったにせよ、無二の友人と言って差し支えなさそうだった。
髪を切って店舗を出たところで、「彼は、2022年8月に亡くなりました。自宅で急に倒れてしまいました。もともと、身体が弱いところがあって、仕事を休むこともあったんです。残された奥さんも子供さんも、今は元気にやっています」と言われた。
「正直、自殺を疑いました」と言いかけたのだが、やめた。昔、大学の同期が事故なのか、自殺なのかわからない形で亡くなった時に、ご家族が事故だと強く信じていたのを見て、僕も事故だと思うことにしたことを思い出した。店長の目も、持病のせいだという目をしていた。
そう思うと少し私も心が楽になった。亡くなられたという結果は同じで、自殺だと嫌で、持病だと大丈夫というのもよく分からないのが、僕の中で彼は生き切ったのだと思えた。家族を養うために一生懸命で、仕事にもストイックだった。そういう生き方を、結果的に私も13年見ていた。
もう私はお酒は飲まないのだが。献杯。
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