適当に考える「通俗心理学の問題」について
まえがき:通俗心理学の問題
通俗心理学。耳慣れない言葉かと思います。「心理学は知っているけど通俗心理学って何ぞや?」という人のために簡単に通俗心理学を説明しておくと、(学術的には/厳密には)心理学ではないが、大衆の間では心理学であると見なされているもののことを通俗心理学と呼びます。
この通俗心理学の中には、性格診断(血液型占い含め)、HSPなどがあるでしょう。こうした通俗心理学は一種のスピリチュアルであると宗教学者の岡本亮輔は指摘しています。また、スピリチュアルは自己啓発に含まれると社会学者の牧野智和は指摘しています。つまり、通俗心理学はスピリチュアルであり、自己啓発であるという訳です。
以前、こうした自己啓発やスピリチュアルが何故人々に広く受け入れられているのか、その問題点は何かということについて記事を書き公開しました。
本稿では、その続きとして通俗心理学(主にHSP)について、何故広く受け入れられているのか。その問題点は何かといったことを考えていこうと思います。
①HSPは通俗心理学である
通俗心理学の中でも人気があるのは性格診断でしょう。本稿では性格診断の問題点をHSPを中心に考えていこうと思います。
ところで、HSPとはそもそも何なのでしょうか。HSP(Highly Sensitive Person)とは、人よりも感受性が強く繊細な人のことであり、病気ではなく、あくまでもそういった性格(気質)の人を指す言葉だそうです。HSPは5人に1人しかいないとも言われています。
環境感受性理論の発達心理学的研究を行っている飯村周平によると、HSPは、『「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる 「繊細さん」の本』という自己啓発本がメディアに取り上げられてからブームになっていったのだと言います。
しかし、HSPは病気ではなく、性格(気質)であることから医療機関での診断は出来ないはずです。にもかかわらず、「私はHSPです」と名乗るのは一体どういうことなのでしょうか。少なくとも、このことからわかるのは今現在「私はHSPです」と名乗っている人は自称HSPであるということです(自称していない例外もありますが、その例外については後述します)。
では、何故、何の医学的な裏付けもないのにHSPだと自称するのでしょうか。精神科医の片田珠美はその理由について次のように述べています。
「生きづらさ」の原因を「HSP」で説明することで自己愛を守ろうとしているのがHSPを自称することの一つの理由であると考えられます。
飯村もHSPが広く受け入れられた背景に「生きづらさ」を説明する物語性がHSPにあるからだと指摘しています。
「私が辛いのはHSPだから」「HSPだから生きづらい」とすることで自己愛を守る。そのような背景があるように思えます。しかし、飯村は「HSP=生きづらさ」と言う認識は間違っていると言います。
「あなたが生きづらいのはHSPだからなんです」といった自己啓発書はいくつか知っていますが、そのような記述は学術的には間違っています。この間違いの問題点については後述するとして、次章ではHSPを自称するもう一つの理由を探っていこうと思います。
②美しい苦悩とは何だろう?
通俗心理学として語られるHSPは「生きづらい人」というネガティブなものばかりではありません。中には5人に1人しかいない選ばれし人。繊細で感受性も豊かで芸術肌な人(天才な人)。他人の気持ちにすぐ気が付ける優しい人、などポジティブな意味合いで語られることもしばしばあります。
HSP関連の自己啓発書を読んでみると「繊細で悩ましいHSPというその特性をむしろ強みに変えることで夢が実現できる」「HSPは弱みではなく強みだ」といったものも多く存在します。つまり、HSPにはネガティブな意味だけでなくポジティブな意味もあるわけです。ここからわかるのは、HSPを自称することで「私は5人に1人しかいない選ばれし人間なんだ」「私は感性が豊かな天才なんだ」と自意識を満足させることが出来るということです。
つまり、直接的(露骨)に「私は天才です」とは言えなくても、天才と言うニュアンスを含んだ別の言葉として「私はHSP」と言うことで、「私は天才なんだ」と自意識を満足させていると考えられます。
このような傾向は「ファッションメンヘラ」と共通しているように思えます。「メンヘラ」という病んでいる人が一部の層からモテることから、病んでいるふりをしてモテようとする人達を、ファッションとしてメンヘラを装うことから総称して、「ファッションメンヘラ」と呼びます。つまり、自称HSPも自分を天才(あるいは選ばれし人間)に見せるためのファッションとして、オシャレとして「HSP」という肩書を使っているということです。
オシャレ風に精神疾患を描写することを、精神疾患の専門家アディティ・ヴァーマは「美しい苦悩(ビューティフル・サファリング)」と呼んでいます。
例えば、ADHDやASDなどの発達障害にも「美しい苦悩」があるように思えます。近年メディアで「発達障害=天才」という報道の影響により、「私は天才だ」と露骨には言えない代わりに、天才というイメージのあるADHDやASDを自称する人達がSNSで現れ始めました。
そして、こうした流れは、HSPにも現れ始めています。直接、「私は天才だ」「私は芸術肌な人」と言えない代わりに、似たニュアンスの言葉で「私はHSP」と言い、遠回しに「自分は優れている」と見栄を張っている方を多くお見受けします。他にも「5人に1人しかいない希少な私」ということを、やたらと強調する人も多くいますね。まるで、HSPであることをひとつのオシャレとして楽しんでいるかのように。
実際、Google検索のサジェストでも、HSPについて検索すれば、サジェストで 「HSP 天才」と出てきます。多くの自称HSPの人が自分を天才と思い込むために「HSP 天才」と検索したのでしょう(みっともない姿が想像できますね...)。
では、こうした美しい苦悩にはどのような問題があるのでしょうか。ひとつは、これが差別につながる可能性が高いということです。イケてる疾患と見なされない疾患、つまりイケてない疾患を持っている人が差別されるリスクがあると言います。
こうした傾向はHSPにも見られます。つまり「5人に1人の選ばれし私から見れば、他の5人に4人の選ばれなかった人間が哀れに見える」というような選民思想のようなものが見えるということです。
またオシャレのために精神疾患を装う人が増えることで、精神疾患の正しい情報が埋もれてしまうリスクをヴァ―マは指摘しています。
こうした問題もHSPには共通しているように思えます。HSPを自称する人がいることによって、HSPに関する誤った情報が流れていることを飯村も指摘しています(この問題について詳しくは後述します)。
さて、ここまでの話をまとめると、HSPを自称する理由は「生きづらさ」というネガティブな理由からくるものと、「程よく天才を装える」というポジティブな理由からだと考えられます。次章では、ここまで説明してこなかったHSPを自称していないパターンについて考えていこうと思います。
③HSPはリテラシーが低い人たち
HSPを自称していないパターンとして「性格診断を受けた結果、HSPと診断されたから私はHSPだ」という人もいると思います。また、友達や家族など他人から「あなたは繊細だからHSPなんじゃない?」と言われて「私ってHSPだったのか」となった人もいると思います。本章では、そのような人たちは自らHSPと名乗り出していないことから、「自称していないHSP」として考えていこうと思います。
とりあえず、性格診断の結果、HSPと診断されたから「私はHSP」と名乗っている人のパターンについて考えていきましょう。現在、ネット上では「HSP診断」なるものがウェブ上に数多く存在していますが、このような診断によって、HSPかどうかなど分かるのでしょうか。
結論から言えば、わかりません。まず、そもそもですが、誰がつくったかもわからないウェブ上で受けられる性格診断テストなんてものは、全く信用できるものではありません。
しかも、最近ですと、本当に医学的に権威のありそうな見た目を装ったタチの悪い性格診断テストのサイトもあるので油断できたものではありません。よくHSPと名乗られている方々が利用している性格診断テストで「MBTI」というものがありますが、MBTIはアメリカ心理学会が発行している『APA心理学大事典』で「心理学研究者の間ではほとんど信頼性がない」と記されているほど、信憑性に乏しい性格診断テストです(APA dictionary of psychology)。「繰り返し診断をするごとに診断結果が変わる」や「客観的な尺度がない」等、信憑性の低さが多く指摘されています。
「でも私は当てはまってた」という人もいらっしゃるかもしれません。しかし、そうした考えも既にバイアスがかかっているのかもしれないことを覚えておいた方が良いです。
性格診断にはある程度、バイアスの問題があります。一見、誰でも当てはまりそうな記述(「あなたは優しい」「あなたは真面目な一面もある」等)でも、自分にだけ当てはまっていると感じてしまうバーナム効果という心理現象があります。「あなたは繊細な一面がある」等の曖昧で、一見、誰でも当てはまりそうな記述の場合は、特に注意深く判断し、もしかしたら、誰でも当てはまっているものを「自分だけ」と勘違いしていないか疑うことが重要でしょう。飯村もネット上のHSP診断には「バーナム効果」がある事を指摘しています。
私は血液型占いや性格診断(HSP診断)をまったく信じていませんが、全面的には否定しません。会話のネタとして、性格診断をしたりすることは日常的にある事でしょうし、それ自体は否定しませんが、血液型占いや性格診断(HSP診断)は、気休め程度、お遊び程度、雑談ネタ程度として捉えているくらいがちょうど良いでしょう。
誰が作ったかもわからない性格診断の結果を鵜呑みにしてHSPを名乗っている人は情報リテラシーが低すぎるのでもう少し情報に対するリテラシーを高めましょう。皮肉なことを言えば、性格診断の結果を鵜呑みにしてHSPと名乗っている人は、情報に対する感度(感受性)が低すぎるのでHSPではないでしょう。
さて、もう一つ自称していないHSPとして家族や友人など他人から「あなたHSPなんじゃない?」と言われたパターンもあるかと思います。しかし、これもあまり当てになりません。というのも、何をもってHSPと判断できるのか専門知のない一般人が判断できるとは考えられないからです。次章ではこの問題点について考えていきましょう。
④野良カウンセラーの問題
HSPはそもそも、どの程度繊細ならHSPと呼べるのかといった曖昧さを含んだ概念でした。こうした曖昧な概念が広がると当然悪用する人も出てきます。その一つとして、「HSP医療ビジネス」があるのだと飯村は指摘しています。
「あなたはHSPかもしれないから治療しよう」といった口車に乗せられ、金銭を要求すると言った悪質なビジネスがあると考えられます。また、ネット上には「HSPカウンセラー」を自称する人も現れてきていますが、こうした現象にも問題があります。
厳密には公的な資格ではない「HSPカウンセラー資格」を売り出すことで儲けようとする悪質なビジネスがあるということです。こうした資格を取得した人が自分は「公的な資格を持ったHSPカウンセラーなんだ」と勘違いすることには問題があります。というのも、厳密には公的な資格を持っていない人(いわばアマチュア)が、精神の弱っている人のカウンセリングを勝手にしてしまうからです。
心理学者の原田隆之は、こういった公的な資格(国家資格)を持っていないアマチュアが勝手にカウンセリングをしていることを「野良カウンセラー」と表現しています。
では、野良カウンセラーの問題とは何なのでしょうか。原田はその一つの問題として、専門知を持っていない人のカウンセリングによって精神疾患が悪化する可能性があることを挙げています。
世界には「HSPカウンセラー」なる資格など存在しませんが、現在「HSPカウンセラー」を自称する野良カウンセラーは多く存在しています。こうした野良カウンセラーの問題は何の専門知にも基づかないアマチュアカウンセリングによって、精神疾患を患っている人の症状が悪化することにあると言えるかもしれません。
しかも、悪化するかもしれない、効果があるかもわからないカウンセリングにもかかわらず、お金を要求されるといった事例もあるのだと言います。
他にも、カウンセリングと称して売春が行われているなどの問題があります。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52924?imp=0
また、野良カウンセラーの問題はそれだけではないと私には思えます。野良カウンセラーの危険性は、プライバシーの問題にもあるように思えます。つまり、ネット上で個人情報を渡し、野良カウンセラーに相談をした後で、野良カウンセラーがその個人情報を悪用したり、流出される危険性があるということです。
ネット上には(公的な)資格を持っているのか怪しい自称カウンセラー(野良カウンセラー)が多く存在していますが、こういう人達のカウンセリングはお勧めしません。このような人たちのカウンセリング結果は全く信用できるものではありません。
もちろん、野良カウンセラーの中にも、弱っている人を救いたいという善意からのカウンセラーもいるのでしょうが、それでも専門知のない人のカウンセリングは症状を悪化させたり、正しい精神状態の分析の妨げになったりするリスクがあるのでお勧めできません。
今現在、HSPをネット上の自称カウンセラーから診断されたという人はその結果を鵜呑みにしない方が良いでしょう。
自己啓発本(通俗心理学本)に影響されて、自分にもカウンセリングができると勘違いした野良カウンセラーもいそうですが、そういった野良カウンセラーに引っ掛からないためにもある程度のリテラシーが必要でしょう。
まとめ:通俗心理学の罠にハマらないために
HSPを中心に通俗心理学の問題をいくつか見てきました。ざっとまとめると以下のようになるでしょうか。
さて、かなりざっくりしたまとめですが、そもそもHSPがブームになったきっかげが自己啓発書であることから、HSPそのものが通俗心理学になってしまうのも無理はないのかもしれません。飯村もHSPは通俗心理学だと指摘しています。
HSPは「学術的なエビデンスにもとづかないものが多い」です。実際、その例として、「○○型HSP」といったHSPの細分化がありますが、こういったものには何の裏付けもないのだと言います。
また、冒頭で「HSPは5人に1人しかいない”と言われている”」といった説明の仕方をしましたが、「HSPは5人に1人しかいない」というのも正確には間違っています。
こうしたことからわかるのは現在HSPを自称している人、他人や性格診断から「あなたはHSPだね」と言われて鵜呑みにしている人、どちらのパターンのHSPも科学リテラシーが低いということです。
まず誰が作ったかもわからない性格診断を鵜呑みにするのも情報リテラシーが低いとしか言えませんし、「○○型HSP」といったものを鵜呑みにするのも科学リテラシーが低いとしか言えません。つまり、現在、自分はHSPだと言っている人は、科学リテラシーも情報リテラシーも低すぎるということです。皮肉なものです。繊細で感性が豊かなHSPだと自称する人が、実際は科学にも情報にも疎く、鈍感なのですから。
こういった胡散臭い情報(通俗心理学)に引っかからないためにも情報リテラシーと科学リテラシーが必要なように思えます。
あとがき:HSPの胡散臭さ
以前にも「(自称)HSP」を題材とした記事を書いた。「オシャレ化するHSP」という記事だが、タイトルだけ見れば、一見、「HSPはオシャレ」と誉めているように見えなくもないタイトルである。
しかし、内容を確認してもらえればすぐにわかるのだが、この記事は「HSP」を誉める内容の記事ではない。むしろ、批判している記事である。
この記事の中でも「HSP」がファッションメンヘラと同じように、"装うもの"として利用されている問題点を指摘しているのだが、この記事の公開後に驚くことがあったのでついでにここに書き記しておきたい。
「オシャレ化するHSP」は、自称HSPを批判している記事にもかかわらず、自称HSPから「スキ」が押されたのだ。自称HSPを批判する記事に自称HSPから「スキ」を押された時点で不信感もあったので、相手(自称HSP)のスキ欄を確認したら、読まずに「HSP」関連の記事に手当たり次第スキを押しまくっていることを確認した。つまり、記事を読まずにスキを押していたのだ。おそらく、タイトルだけ見て「HSPはオシャレ」と誉めている記事だと勘違いしたのだろう。
だが、このようなリアクションが自称HSPから来たことに私は驚いた。というのも、自ら「私は繊細だ」と名乗っている人間が、実際は記事の内容すら確認しないような、繊細の対局にあるがさつな反応をしていたからである。
よく情報に対してこんながさつな対応しかできない人間が自分を繊細だと言えるなと正直呆れたが、実際、自称HSPなどこの程度のものなのだろう。
自称HSPの人たちが語る繊細エピソードは正直、ほとんどの人が経験したことのあるようなことばかりであることが多いように思える。
「人と会話していると疲れる(一人の時間が落ち着く)」「映画を観てよく感動する」など、「そんなのほとんどの人に当てはまることだろ」としか思えないエピソードを自分に固有のエピソードとして語っていることにそもそも疑問しかない。
また、自称HSPは自分は感性が豊かだという割に、趣味はアニメやゲーム、漫画など没個性的なマスカルチャーばかりで、難解なハイカルチャー(現代アートや古典文学など)を趣味にしている人もほとんどいないように思える。たいして芸術などに造詣が深いわけでもないのに、感性が豊かとはいったいどういうことなのだろうか…。
今回の記事でも度々指摘してきたが、そもそも自称HSPは情報に対する感度(あるいはリテラシー)も、科学に対する感度(あるいはリテラシー)も低いことが多く、とても繊細とは呼べない人間が多い。自己啓発に影響され、単にブームに流されたリテラシーの低い人たちが現在HSPを名乗っている人の正体だろう。
付録:スピリチュアルと学問は違う
このタイトルを見て、「何を当たり前な…」と思った人は、おそらく正常な人だろう。
しかし、時々、スピリチュアルを信じている人の中には、それを学問と思い込んでいる人が紛れ込んでいたりする。
「占いは心理学(科学)なんだ」とか「占いは宗教学なんだ」といったようにだ。
しかしだ。はっきり言わせてもらおう。占いなどのスピリチュアルは学問ではない。例えば、自然科学的な裏付けのない超自然的なこと(タロットカードで未来が予測できるなど)を信じるのは科学に反することである。
また、占いなどスピリチュアルを実践することを宗教学などと勘違いしている輩もいるが、宗教学は宗教(スピリチュアル)を実践する学問ではない。宗教をメタな視点で観察するのが宗教学である。宗教学者の中村圭志は「宗教学」と「宗教」の違いについて次のように述べている。
つまりだ。スピリチュアルという宗教を実践することは宗教学という学問には含まれないわけである。
他にも占いなどのスピリチュアルを「統計学」「数学」「哲学」「社会学」などという輩もいるが、同様に占いはそれらの学問ではない。もし占いなどのスピリチュアルを学問と思い込んでいたのであれば、それは学問ではなく「お遊び」や「気休め」程度で受け止めておくべきだろう。
こんなことは当たり前すぎることで指摘するのも馬鹿馬鹿しいくらいだが、人によっては、自分達のしていること(スピリチュアル)を「学問」と偽って他人を騙そうとする連中もいる。
それこそHSP(というスピリチュアル)を心理学と偽っている野良カウンセラーのようにだ。このような馬鹿げた話に騙されないためにもある程度の教養が必要なのだろう。
最後に興味深い実験があるので紹介しておきたい。占星術(スピリチュアル)を学問(科学)と信じている人ほどIQが低いという研究である。
前回の記事でもスピリチュアルを信じることがいかに馬鹿げているのかを指摘したが、この事には科学的なエビデンスがあったわけだ。
以前の記事に対して、記事を読まずにスキを押してきたスピリチュアルオタク(?)、あるいはサルの記事もいくつか読んでみたが、上記の研究で示されていることが正しいことを私自身、肌で感じるような記事であった。やはり、スピリチュアルと教養(学問)とは対極なのだろう。
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参考文献
・岡本 亮輔(著) 『宗教と日本人-葬式仏教からスピリチュアル文化まで』 中央公論新社 2021年4月19日
・牧野 智和 (著) 『日常に侵入する自己啓発: 生き方・手帳術・片づけ』勁草書房 2015年4月9日
・『【論説空間】HSPについて正しく知ろう いま日本で何が起きているのか』(https://www.todaishimbun.org/hsp_20220119/)
・『敏感すぎる「HSP」増加 生きづらさの理由求め自称する例も』 (https://www.news-postseven.com/archives/20201117_1613252.html?DETAIL)
・『HSPとは?「HSPと生きづらさ」にまつわる誤解と正しい理解/HSP研究者 飯村周平先生インタビュー』 (https://neuromind.jp/iimurashunpei_hsp/)
・『SNSにおける鬱や“病み”の〈オシャレ化〉はなぜ止めるべきか?』 (https://www.vice.com/ja/article/8849w3/we-need-to-stop-making-mental-illness-look-cool-on-social-media)
・『なぜネット上に「野良カウンセラー」が跋扈するのか――自称可能な肩書が生む、メンタルヘルスの危険性』(https://news.yahoo.co.jp/articles/26b73dca246f3c628bc2f4af54e496d1f184814e)
・『HSPブームの今を問う(飯村周平:東京大学・日本学術振興会PD)』 (https://www.note.kanekoshobo.co.jp/n/n60ba14db91ff#vmQb7)
・中村圭志(著) 『面白くて眠れなくなる宗教学』 PHP研究所 2018年1月26日
・『占星術を妄信する人はナルシストでIQが低い傾向があるという研究結果』 (https://nazology.net/archives/100845)