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中世における火炙りと現代における炎上について(2021.3.7)
最近中世ヨーロッパの勉強をしているが、面白い。
ただひたすらに暴力や略奪を繰り返し、背景には常に宗教というイデオロギーが付き纏う。
正しい事を唱えても君主の利にならないと判断されれば、宗教裁判→異教徒判定→死刑宣告→火炙りのコンボが炸裂し、生きながらゆっくりと焼かれてしまう。
チェコの思想家であったヤン・フスも世俗化したカトリックに異を唱えた結果、時のローマ教皇に捕らえられ火刑となってしまった。その時に敬虔なカトリックであった老婆はフスが焼かれている場所に駆けつけ薪を焚べ、こう言ったのだ。「間に合った。これで儂も天国に行ける」
正しい事を言っても時代的なドグマに反すればその身を燃やされるーこれは現代でもSNSの炎上という形で甦っている。無論炎上したからといって現世から抹殺されるわけではないのだが、それが社会的な死を意味し二度と表舞台に立てない人を見るに一笑に付すことはできないだろう。願わくば、火種が起きてもカトリックの老婆のように炎上に薪を焚べるような真似をしないで欲しい。ー現代において一番厄介な人種は教皇ではなく民衆ではないだろうかー