アーサーの心はどこに『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』【勝手に寄稿】
多くの人間に衝撃を与えた映画『ジョーカー』の続編『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』。
主人公・アーサーの深い悲しみが暴力・悪意になり、ジョーカーが誕生した一瞬を描いた前作だったが、本作では、アーサーを包んでいた真っ黒い影が移ろいでいく時間が描かれていた。
ビジュアル、ホアキン・フェニックスの身体の美しさ、音楽をパワーアップさせ、ひとりの男性のアイデンティティや精神に限界までにじり寄るという方針転換。地味かもしれないけど、前作を凌駕する衝撃があった。アーサーの心のありかと、彼のもとに集まってうねりまくる悲しみや悪意が頭の中を混乱させていく。
凶悪な犯罪を犯し、裁判にかけられたアーサー。本人は病院での薬漬けのおかげか模範囚として静かに生きていたが、検事らは猟奇的で極めて暴力性の高い凶悪犯罪者として裁く。一部の民衆は、アーサーを猟奇的で極めて暴力性の高いヒーロー・ジョーカーとして崇める。
一方で、弁護側は「ジョーカー」を彼の精神疾患からくる別の人格とし、完全責任能力のなさを主張してアーサーを救おうとする。アーサーは前作で、脳への損傷や、酷い妄想に悩まされていたが責任能力に関しては曖昧だ(劇中では軽度の障害と言及されるが)。
彼は法廷で自分が犯した酷い罪や、考えたくも思い出したくもないトラウマを穿られ、抱えきれない他人の怒りや悲しみ、悪意を背負わされていく。院内でも様々な視線や言動が浴びせられ、複雑な思いを持ってアーサーに急速に近づいていくリーまで登場する。
彼が衰弱している姿、高揚している姿、真っ黒に染まっている姿を見ていると頭がぐちゃぐちゃになる。彼に寄り添いたい気持ちが浮かんでは「責任能力」という言葉と共に現実の凶悪犯罪が頭をよぎって胸が苦しくなる。
アーサーの心が居場所を探して目まぐるしく動いている一方で、誰も彼を見ていない。自分でも他人にも定められない心が妄想や音楽、悪意に移ろいでいく。
アーサーはジョーカーという悪意の中心地から離れようとする。溢れ出るものに身を任せて全てを破壊してみても、何も変わらないどころかより悪くなり、それが集まってくる。最後には、彼が持っていたものより純度が高いピュアな悪意に殺される。愛していたリーの弾丸ではなく、イライラしながら静かな目線を向け続けていた若者の暴力によって。
飲まれるしかなかった、押し寄せてくれるうねりから抜け出すことを許されなかったアーサー。うねりの中には私達の影も含まれている。