エコーチェンバーという単語を知ったので使ってみたい日記(中学生だから):心の中の「F」を開放してみる
みなさまごきげんよう。
さて標題の通りです。
【参考文献】
普通参考文献は末尾に載せるものだと思いますが、どうせブログの末尾なんて誰も見ない。そのくせ、議論の前提にしてる部分も多く、目を通してもらわないまま非難されても困るなぁって思ったのでいっそ冒頭においてみました。
・全国フェミニスト議員連盟「千葉県警本部、松戸警察署、松戸東警察署、千葉県、松戸市、松戸市教育委員会宛の公開質問状を提出。およびその回答について。」( https://afer-fem.org/?p=1416 2021/10/14確認)
前提にしている議論
・みそは入ってませんけど「リアリティーショーを批判しているオタクもVTuber見てんじゃん」( https://not-miso-inside.netlify.app/blog/better-stop-watching-vtuber/ 2021/10/14確認)
・LWのサイゼリヤ「20/6/5 Vtuberオワコン論はオワコンか? 『リアリティーショーを批判しているオタクもVTuber見てんじゃん』を受けて」( https://saize-lw.hatenablog.com/entry/2020/06/05/203204 2021/10/14確認)
その他無意識に参照したりしてなかったりする議論やテクストは無限にあるけれど、上記のものを意識した上で書きましたという断り書きだと思ってください。なんかサブカル批判の文脈をいろんなとこから引っ張ってきているんだろうなという自覚はあるけど、引用しているわけでもなし誰のどの発言かも覚えてないし、めんどくさいので明記しません。論文じゃあるまいし。。。。。。
ここから本文
【はじめに】
最近エコーチェンバーという言葉を覚えました。ネットって便利だね。
今までもしばしば何か対立するグループに対して、「こいつら自分の属する集団へとアピールするために対立するのであって他者応答する気ねぇな」みたいなことずっと思ってきていたんですけど、エコーチェンバーという言葉が上記の状況を端的に表していてとてもいいなと思います。
エコーチェンバーって総務省白書「インターネット上での情報流通の特徴と言われているもの」からの孫引き(最悪、既にこの記事に説得性はない)、「笹原和俊(2018)『フェイクニュースを科学する』」によれば
「エコーチェンバー」とは、ソーシャルメディアを利用する際、自分と似た興味関心をもつユーザーをフォローする結果、意見をSNSで発信すると自分と似た意見が返ってくるという状況を、閉じた小部屋で音が反響する物理現象にたとえたものである。
というもの。先の自グループへのパフォーマンス性みたいなことに押し広げてみれば、「エコーチェンバー」外の情報は既に他者ではなく、自グループの結束をますます強めていくための契機として自己化されていると言ってみても良さそうな感じ。
まぁそれを顕著に感じるのは、Twitter上で表現の自由戦士VSフェミの構図が出てくるときなんです。で、冒頭にも「動機」として置いた事件が最近だとそれだなってことで。この事態のめんどくささって互いが互いの「エコーチェンバー」内部に内向したまま、一見対外的な活動を行ってしまうことにあるんじゃないかと思う次第です。
ともあれ、私はたぶんどっちかというと「オタク」側の人間なので、エコーチェンバーとしては表現の自由に賛同するような立場に近しいし、まぁ実際表現の自由は大事だと思ってます。あいちトリエンナーレ、表現の不自由展の不当な中止に遺憾の意を表します。表現の自由を守れ!
とはいえ、「全国フェミニスト議員連盟宛抗議と公開質問状」に代表されるような、対フェミ言説にもう~んと思うことはあって、あえてエコーチェンバーとしては回収されないことを言ってみようかなと思いました。中学生なので逆張りが好き。それがサブタイトルの「心の中の「F」を開放してみる」ということです。フリーザではなくフェミというわけですね。Fワードでもないと思います。
【心の中の「F」を開放してみる】
まずは心の中のFに問いかけてみます。結局「ご当地VTuber 戸定梨香」の何が問題だったのですか。
それは2021/8/26日付けの公開質問状(cf. https://afer-fem.org/?p=1416 )と問題意識を同じくしています。
戸定梨香というVtuber(アニメキャラクター)は、セーラー服のような上衣で、丈はきわめて短く、腹やへそを露出しています。体を動かすたびに大きな胸が揺れます。下衣は極端なミニスカートで、女子中高生であることを印象づけたうえで、性的対象物として描写し、かつ強調しています。
でも個人的には、この問題がことさらとりあげられなければならなかった理由は後の文にあると思います。
公共機関である警察署が、女児を性的対象とするようなアニメキャラクターを採用することは絶対にあってはならないことです。
とりあえず、問題意識は上のようにまとめられました。次は、批判と応答です(一人芝居だけど)。
ちょうど、「全国フェミニスト議員連盟宛抗議と公開質問状」に批判が明記されています。私は専門家ではないのですが(だって一介のオタクだし)、答えられる範囲で応答(納得を引き出すわけではなく、どうして上記の問題意識を持ったのか説明してみること)していきましょう。
本文引用をしようと思ったのですが、長くてブログの体裁に支障が出ちゃいました。とはいえ、言い換えや恣意的な切り取りによって相手の問題意識の意図をわざとずらして引き受けるような真似をしてはいけませんので、ポイントを絞って応答していきたいと思います。
「しかし、服装や体型を理由に、「性的対象物だ」とレッテルを貼り、公共の場から追い出そうとするあなた方の活動は、本来、フェミニズムが擁護すべき、女性の多様な在り方と自由を称揚する立場とまったく矛盾するものです。」および、「1.VTuberが「丈の短い着衣」「大きな胸」であることが直ちに「性的対象物」になると断定する理由をお聞かせください。」、「5.戸定梨香氏の体型や服装は、VTuberとしてごく一般的なものと考えますが、そうしたVTuberの動画が「女児を性的対象とする」ものであり、「性犯罪を誘発する」と貴連盟が断定する根拠をお答えください。」について
本当にポイントを絞れている……?
でも正直、ここへの応答がいちオタクとして反エコーチェンバーになってまで答える必要があると思いました。まぁ連盟としての声明でもなければ、性的マイノリティへの配慮という議論からも遠ざかっていますが、それはオタクのオタクによる応答ということで。フェミのくせに女性の仕事邪魔してるねに関しては、ひとりの女性が発信するメッセージが常に女性の権利の保証と一致するわけじゃないので……としか言えないような気も。
閑話休題。なんでVtuberが「性的対象物」として切り出されてしまう(しまいがち)なのかについて、以下検討していきます。
結論を先に述べてしまうと、オタク・コンテンツだからってことになってしまうのですが、この言い方はあまりにもキャッチー特化だし説明不足なので説明を足していきます。
まず、F議連はVtuberという概念にカッコ書きで(アニメキャラクター)と付しています。ここがこの議論のポイントとなってくるようです。
アニメキャラクターとはなんぞやをここで事細かに検討するには能力も紙面もやる気も足りないのですが、雑な切り口で言えば「記号性の集積」と言い換えてもいいかもしれません。(この記号性、コードの集積の議論は東浩紀の著作や村上 裕一「ゴーストの条件 クラウドを巡礼する想像力」なんかを参照してみてください)
簡単に例を上げればデケー乳、水色、長い髪、金髪。誰を思い浮かべますか? みたいな感じです。逆アキネイターみたいに人物を部分ごとに切断できてしまうこと。ここに複雑な人格性は織り込まれておらず(アニメの人格性はキャラクターではなくストーリーに下支えされています)、複製(二次創作、ファンアートなどなど)も簡単な性質を持つものと言えそうです。
ちなみに正解はミライアカリでした! ウソですバニーアスナです。議論を撹乱するのをやめろ。
そしてVtuberも上記のような記号の集積性という点で、アニメキャラクターの性質とかなり近い(てか同じ)と言ってしまえると思います。リアルを生きる実在人間とは違い、記号・情報の集積によって統御される外観を持つこと、それが「アニメキャラクター」という言い方に収斂していく性質だとまとめておきます。
ちょっと横道にそれますが、人間も記号化されるケースは往々にしてあります。グラビアの服とか仕事着とかその代表例。そういう意味で、「アニメキャラクター」を批判することと、リアルの人間の権利保証は地続きにもなりますし、ビキニの生身の女でも当然警察に批判文を出すことはできた。いいかえれば、公的な広告において、「アニメキャラクター」だから批判されたというより、「記号的に身体を表象した」から批判されたということが本質だと断っておきます。ただ、Vtuberはじめ「アニメキャラクター」は身体の記号化と相性がいいからことさらに槍玉に挙げられやすいのだと思われます。
さてこれを前提とした上で、F議連の抗議文に立ち返ってみましょう。
戸定梨香というVtuber(アニメキャラクター)は、セーラー服のような上衣で、丈はきわめて短く、腹やへそを露出しています。体を動かすたびに大きな胸が揺れます。下衣は極端なミニスカートで、女子中高生であることを印象づけたうえで、性的対象物として描写し、かつ強調しています。
指摘は「女性性の記号」の列挙となっています。そのうえで、「性的対象物として描写し、かつ強調しています」との判断を行っています。
要は、「女性性の記号」の氾濫こそが問題であり、この過剰さが「性的対象物」と判断する原因になっているわけです。
つまり、「1.VTuberが「丈の短い着衣」「大きな胸」であることが直ちに「性的対象物」になると断定する理由をお聞かせください。」(これは引用)への回答として、まずは「アニメキャラクターに代表されるようなキャラクター造形は記号の集積的にならざるを得ず、そのうえでVtuberの造形には女性性を代表する記号が氾濫しており、「性的」な記号性が過剰であると判断できるため。」(これは私見)と応答できる感じです。
で次、「5.戸定梨香氏の体型や服装は、VTuberとしてごく一般的なものと考えますが、そうしたVTuberの動画が「女児を性的対象とする」ものであり、「性犯罪を誘発する」と貴連盟が断定する根拠をお答えください。」(これは引用)には「上記のような女性性、あるいは男性性の記号を過度に集積したキャラクター造形の積極的な肯定、およびその一般的な流通は望ましくない」(これは私見)と前提を敷いた上で、(私はオタクだから別にそれがピクシブやようつべ(のキッズの見ない範囲)、センシティブメディア登録をした上でのTwitter投稿や、個人ブログとかで行われるのは別にいいとは思っちゃうんですけど)「こうした記号性の一般流通は、性的記号性を生身の人間にスライドさせてしまう契機を孕んでおり、人格を尊重する異性関係とは相容れないと考えられるため」(これは私見)とは言ってみることは可能っぽそうです。
今気づいたんですけど、F議連は「性犯罪誘発の懸念すら感じさせる」って微妙な言い方してるのに、抗議文では「「性犯罪を誘発する」と貴連盟が断定する」って言ってますね、たぶん「女児を性的対象とする」に「断定」がかかっているとは思うんですけど(それはF議連はやってる)、これ文章が下手なんじゃなくて意図的にやってたらよくないっスよ。
まぁおいといて、順番が前後しましたが「しかし、服装や体型を理由に、「性的対象物だ」とレッテルを貼り、公共の場から追い出そうとするあなた方の活動は、本来、フェミニズムが擁護すべき、女性の多様な在り方と自由を称揚する立場とまったく矛盾するものです。」(これは引用)への応答としては、「アニメキャラクター的造形において、服装や体型はあくまで「記号」でしか無く、実在男性・女性のような自己選択や先天的・後天的環境の結果ではないにも関わらず、過剰に強調される場合は(オタク自己の言い訳:批判する語彙の程度のグラデーションはあるけれど、「性的対象物」とまで言い切る感じにはノれないな)やはり公的な場にはふさわしくないであろうと考えられる。こうした表現へ批判を投げかけること自体は、結果として女性(あるいは男性)をステレオタイプ的に捉えようとする視座を相対化する契機を持っており、フェミニズムの機能と矛盾することはない」(これは私見)と言うことはできそうですね。(ちょっと引っかかるとこもあったけど)
【おわりに】
ここまででなんと5750文字。気になることは尽きないですが、言いたいことは言いきったのでそろそろしめようと思います。
当初の目的、F議連の立場に立ってみて「どうして上記の問題意識を持ったのか説明してみること」、つまり、なんでVtuberが「性的対象物」として切り出されてしまったのかの検討と、その検討を踏まえた上での抗議文への応答(一部だけだけれど)をやってみました。
今回は「記号性」を敵視するような物言いが多かったですが、逆にこうした「記号」についてはそもそも致し方ない部分もあるし(写実的なスケッチでない限りそうするしかないし)、複製や組み合わせの際の「間隙(差延)」や、キャラ造形に際して引用された「記号」がストーリーによっていかに補強・撹乱されていくのかとかにこそ創作の面白みや独自性、また「記号」の意味はあるよなぁと思っています。
まぁキャラクター造形が「記号」の集積にならざるを得ないことにはやっぱり課題が山積みだと思いますし、完全に余談ですが最近のソシャゲキャラがインナーカラーや独特な光の着彩を使ったり、情報量爆盛になっていく、あるいは逆にエロで釣っていくのは「記号」によるキャラ造形でガチャ欲を煽り立てることの限界性みたいな議論にも繋がっていきそうだなぁって思いました。正直そういう議論のが面白そ~
まぁ元も子もないこと言っちゃえば、今回の一連の騒動って単にゾーニングの問題でもあるし、オタク・コンテンツの人権がまだまだ認められてない(あるいはオタクの当事者性に限定される議論になっちゃう)みたいな話なのかなって実感です。実際当事者以外にはどうでもいい話でしょこれ。
でもその突破口はエコーチェンバーに対するパフォーマンスではねーぞというのが本記事のモチベーティヴでもあり、また同時に末尾でも強調しておきたいことです。オタクもFもいい加減対話してくんねぇかな~、あるいは申してるのかもしれないけど、対話できない奴が目立ちすぎる。しかも議員VS議員の構図が取り出せるのにこれじゃあね……みたいな感じ。小競り合いを発端にしているのに、ひいては政治性への不安とも接続しかねないなぁ(てかしてる)ってなってり。
なんか久々にブログで長文書いた気がする。つかれた~
おわり。