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孤独こそ自分を理解するための最大のチャンス -お釈迦様の伝える孤独な向き合い方

私には友達がいない。
少なくともリアルで会って遊ぶことはほとんどないし、残念ながら絶縁となってしまった方々もある。
仕事はフルリモート故に外に出ることもほとんどなく、客観的に見て『コミュ障のひきこもり』であると言えるだろう。
幸いにも父や母と暮らしており、人の繋がりとしては完全な孤独ではないものの、私にはどうにも「この世界の人達とはわかり合えない気がする」というフィルターのようなものが存在していた。というより今も存在している。
心の中では孤独を深めていたのである。

20歳のころ、一段とそのフィルターが強くなった時、自死を試みたことがある。
真冬の寒風吹き荒ぶ真夜中に、パジャマ1枚で家を抜け出して彷徨い歩いた。
裸足で歩く冷たい地面の感触は今も思い出せる。
そうして歩いてやや遠くの河川へ辿り着き、川にかかる橋を渡るかどうかで立ち止まった。

「これを渡れば、今頃探している人達は私を見つけられなくなるだろう。そして凍えて死ぬんだろうな」

そう思い至った時、心の底から怖気がした。
「死にたい」と思っていても、生物的な本能だろうか。いざ死に直面した時には、死を心から恐れるものなのだ。
結局私はその橋を渡ることができなかった。
引き返した先でやがて父に発見され、凍傷などもなく、事なきを得た。
大事にしてくれる両親の心を感じ、自分の浅はかさを深く反省した。

それでもやはり「この世界の人達とはわかり合えそうにない」というぼんやりとした孤独を拭うことはできなかった。
たくさん友達を作り遊んでいる人々や、才能と魅力あふれる人々を目にしては、嫉妬に狂いそうになった日もあった。
社会人となって一人暮らしを始めても、会社の先輩や同僚と「わかり合える」はずもなく、日々を過ごすうちに、「なんで自分は生きているんだろう」という思いが強くなってしまった。
適応障害を発症し、会社を辞めた。

ある程度寛解しては就職するが、やはり孤独感や虚無感から精神を病み、辞めてしまうことが度々あった。
自分が生きていることの意味を全く見出せない日々が続いたのだった。

転機となったのが、瞑想に出会ったことだった。

呼吸に集中し、心を整える。
その中で思い至ったのが、「自分の心の声を徹底的に聴く」ことだった。
生まれてから今までに感じた苦しさ、辛さ、怒り、罪悪感。
将来の自分に対する不安や恐怖。
色々な感情が湧き立つ心に対して徹底的に聴くことにした。
詳細については別の拙筆で紹介したので見てほしい。

このおかげで、自分がいかに自分の心の声を押し殺していたかを痛感することができた。
自分の苦しみは自分が声を無視したことそのものが原因だったのだ。

そして最近、仏教について学ぶ中で、「孤独」に対するお釈迦様の教えに出会うことができた。

意訳して曰く、
「孤独が苦しく感じるのは孤独そのものではなく、『孤独が寂しい』と考える物差しが苦しい」
「孤独の時にこそ、自分を理解し、悟りを開き、真の心の平和に到達することができる。そのためには瞑想をし、心の声を聞くことが大切だ」

図らずも、瞑想を深めた私の行いは、お釈迦様の進めた修行と一致していたのだ。
私はこの教えにこそ真理があることを、身をもって体感することができた。

人々が直視しにくい現実だが、生物とは生まれ落ちた時から「孤独」である。
自分の身体は他人と同一ではない。融合もできず、常に離れ離れである。血肉を共有することも無い。
自分が考えたこと、感じたことを100%相手に伝えることはできない。頑張って伝えても30%もいけば良いほうではないか。認識の齟齬も起きるし、立場が違えばケンカもする。

元より100%わかり合えることは決してないのだ。

だからこそ「私はこの世界の人たちとはわかり合えない」と感じることがあったなら、それは世の真理をついているのであって、素晴らしい着眼点なのだと、私は考えるようになった。
そして唯一、自分の心が分かり合える人物がいる。自分自身である。

自分の心の声を徹底的に聞き、共感することができるのは、孤独で静かな時間を過ごすその瞬間の自分にしかできないことだ。
集中が削がれる喧騒や他人がいては、成し遂げることは難しい。

そうして自分の心と対面し、声を聞き、共感する。そうした愛情深いメタ認知のような心の動きを「仏様」というのだろう。
神仏は外ではなく、自分への慈悲の心、内面にこそ存在する。
自分が本当の自分の心と対面できるようになった時、そこに「仏様」は確かにいる。自分こそが自分に対する仏様になり得るのだ。
自分の心の声を聞くことが、心の平穏、真の幸福につながり、「幸せになりたい」という生きる意味を叶えてくれるのだ。

もし孤独に苦しむ方がこの記事に出会うことがあったなら、お釈迦様の教えを聞きながら、瞑想、そして自分との対話に、時間をかけて挑戦してほしい。
孤独は自分を苦しめる敵ではなく、自分を理解するための友にできるのである。

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