2019年10月時点の不祥事を受けて
※アメブロの記事から、コピペと修正
※漫才コンビ「チュートリアル」について
※画像と内容は無関係です。
幼馴染からの漫才コンビ故、お二人のまったり穏やかな関係性が好きでして、「こういうことがあったなぁ」というただの振り返りです。
(最後に追記あり)
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徳井さんが、節税対策のために成立した個人会社の「税金の申告漏れ」で、芸能活動自粛へ。
申告漏れと言っても、なんと3回目で…それによる預金差押えもあり、まぁ、実に3年に1回しか申告していなかったという…。金額的には、毎回追加徴税も加えて、きっちり払っているようです。
ご本人が、記者会見で「やりますやりますというのが、1日延び1週間延び1カ月延びという状態で、3年たってしまった」「想像を絶するルーズさ」と仰っておりますが…
うん、知ってた。
彼のルーズさに、かつて彼が口にしたエピソードも暴露されて、「ADHDではないか?」とSNS上でざわついておりますが、そのエピソードもほとんど知ってます。
チュートリアルファンなら知っていることでも、一般の人からすれば、そういう反応を受けるのかーと、1人で関心していました。
したがって、自分が、このニュースを知って一瞬思ったのは
「性格のルーズさが、最悪の状況になったなぁ」でした。
芸人ですし、多分に若い頃は笑いのネタになって、許されていた。
でも歳を取るごとに、社会的な責任は重くなる。感覚でなあなあで許されていたことが、許されなくなる。
申告漏れに関して、一ファンの意見を述べますと、「故意ではない」かなと。彼は本当に面倒くさがって、いつものようになあなあ感覚で引き延ばしただけ。ただ、事の重大性を理解していなかった。
ですが、故意だろうとそうでなかろうと、実際やらかしたことは大問題であり、擁護する気もありませんし、それ相応の罰を受けるべきです。
徳井さんは、お笑いのセンスに関しては異質であり天才です。
ただ、サラリーマンとして働くことは全く向いていないだろう、というのが自分の感覚。変な話、業種が違えば、福田さんの方が優秀である可能性が高い。だからこそ、そうなる前に手を打たなきゃいけなかった。
納税がどれほど重要なものか、彼にきっちり教える人が必要だったし彼が求めるべき存在であり、強制力を持って納税の義務を果たすべきだった。
完全に徳井さんの落ち度です。
◆おまけ
税金がないドバイ移住について希望を話していた
→税金について詳しい
→悪質な脱税行為だ!
…というバッシングの声に関して。
良いのか悪いのかは、横においてですね、
徳井さんの、メディアの前で「興味があってハマっています」系話は、あまり間に受けないほうがいいです。というのも、この方、あちこちの場所で違うことをお話しているから。
つまり、TVの前では完全に「演じている」人であり、バラエティ番組としては、「いつも新鮮な話が聞ける」「違った面白い話ができる」点で優秀なところなんですね。
ドバイ移住もそのうちの一つで、たまたまそれにハマっていた時期であり。発言が、5年前(2014年)ということですが、ならば今年(2019年)にそういう話を彼がしたのか、というところに着目するべきかなと。(反対に、福田さんは、同じエピソードを使いまわしていることが多い。新鮮味がない分、時期を追っていくと、内容がほとんど矛盾しないので、人間としては嘘がつけない=信用できるタイプ)
ADHDだろうとそうでなかろうと、故意だろうとそうでなかろうと、
「やらないといけないことは、やらないといけない」
過剰に擁護する必要もなければ、過剰に批判するべきでもない。
ただただシンプルに、それを怠ったという点で、(ある種)裁かれるべきです。
(2024年追記)
何故、今更この記事を掘り起こしたのか。
もし、自分の応援している人が、社会的に不祥事を起こした時に「〇〇は悪くない!」と全力擁護に走るようなファンにならないようにしよう、という自分自身への言い聞かせのため。
というのも、対象者に深くハマればハマるほど、自分の中で神聖化され、彼らは「聖人君子」に位置付けられます。
不祥事が報道されれば、「今こそファンが立ち上がって、対象者を守らねば!」という気持ちが膨れ上がり、あの手この手で対象者が「いかに無実であるか」を探しだします。自分にはその素質があります。危ないです。
正義という名のもとに、むやみやたらと「叩く」のも良くないことですが、(批判と中傷にも明確な違いがないから、難しいですけどね)
かといって、対象者(こちらも「正義という名のもとに」)を「むやみやたらに擁護する」(大体、周囲の環境や人、メディアを批判・中傷するのもセット)のも同じぐらい問題だと思います。
尚、今渦中の吉本の某大物芸人の件は、自分自身が彼のファンではないこと(嫌いということではない)、裁判で事実を明確にされるようですし、特にあれこれ書くことはありません。