日記@同情について考察

結論、同情とは、慈悲深い心を共通の意識として相手に与える共同体の中で生まれる感情だと思う。

アドラー心理学では悩み事は人間関係でしか生まれないとあった。

必ずしもとは限らないかもしれない。
それでも、身近でのLINEグループ内の動きにその現状といえる様な事態があった。

人間が二人以上、存在していれば必ずしも同じ考えの人間、同じ境遇、同じ経験、同じ心境の者がいない。

LINEグループ内で起きていた事は、意見の方向性の違いからの摩擦。

具体的には、自発的な発信、連絡に、自己信頼がないがためか、ぎこちなくする仲間に同情した仲間からの返信から感情的となったグループ会話。

第三者の自分から見ていて思った事。
言葉足らずが原因だと思った。

仲間同士であるのだから、心情的面は似ているのだろう。そうであるから、組織化したと思う。
それでも、他人は他人なのだから不一致があって当然。
前提として、媒体を通じて言葉でしか交われないのだから言葉が最重要の意思疎通する手段
恐らくは、思い出でしか相手を意識する事は難しい事だと思う。
相手も日々の生活の中。そして、相手の人生がある。必ず。

人は鏡。
自分としても是正しなければならない。

最近、自己開示をする機会が多く、相手も自己開示をして頂く時間が多くなり、相手は年配者な為、引き出しが多い。
更には、経験を教えるという立場であるが為、一方的に自己開示される享受の立場になった。
現在進行形で開示できる、実証証明する開示が少ないが為にキャッチボールが出来ない。
活動が必要だと感じている。
勇気が必要だ。

慈悲深いを出来る人になりたい。

人生はシンプルだと思う。
世代間での違い、リズムが違えど行う事は同じ。
それが止まってしまっては、全てにおいて前進できない。
走れなくても、歩こう。
そして、休んだりしてまた歩き、走ろう。

まるで筋トレ。

いいなと思ったら応援しよう!