憧れがいつしかコンプレックスに。そして、話せるようになりたいに変わった、私と英語の話
前回こういう記事を書いたんですけど、英語と私の話を書いていこうと思います。
これも、モーニング・ページを書いて、「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」を読み進めて思い出した話です。
そもそも東京外国語大学に進みたいと思った理由は、高校1年生当時の将来の夢が「英語の先生」だったからです。理由はありふれたもので、親が英語の教師をしていたから。
この話もいつかしたいと思っているもので、どうやら私は母親が大好きなようなんですね。今は照れ隠しで「どうやら」と書いてますけど、子供時代は本当に大好きでしたよ。なのでまぁ、大好きなお母さんの仕事に憧れちゃう子供だった訳ですね。
でも高3の頃に「教師は違うな!」って思ってから、英語と触れ合わなくなりました。まぁそもそも受験勉強でしてただけだから、話すのはやっぱり苦手だったよね。なんというか恥ずかしい、あと「この文法合ってるのかな???」ってどうしても思っちゃって出てこないみたいなのがやっぱりあったなぁ。
そうしているうちに、兄がバイトを始めたんですよ。塾講師、英語の。母は英語の先生、兄も英語の先生、父も仕事で英語使う(なんなら中国語
も使える)。この辺りからですかね、英語への気持ちが憧れからコンプレックスに変わったのは。
なんなら兄の当時の彼女も英語が!喋れる!留学経験ありだし。そうだ未だに覚えてる!(急に思い出すやつ)私と兄と彼女の3人で街に繰り出したときに、英語で道を聞かれたんですよ。私が「英語だ~」って思っていたら、ふたりが英語でぺらぺら~って案内始めててね。ぺらぺら~すらすら~せんきゅーあはは!!みたいな感じで終わって。
コンプレックス!
コンプレックス!!!!が刺激されたな、、なんならいまもこう、、胸の辺りがぎゅーーんってするエピソード。
こんなに世界に人は居るし、友達でも英語ぺらぺら喋れる子ってその時は居なかったし。なのになぜか「私だけ」喋れないと思ってしまって、もうそれが恥ずかしくてコンプレックスで。
いつしか「今時翻訳機もあるし、英語喋れなくたって生きていけるよ困らないよ」なんて言うようになっていた。喋りたかったんだよね私もね。
そして話が急に飛ぶんですけど、私の両親は離婚していて、父は再婚しています。父の再婚相手に娘がふたり居て、まぁ~私に懐いてくれた可愛い妹達だった。父は2度目の離婚をしてしまったし、その時とてもバタついたので、妹達の連絡先は分かりません。もう会えない寂しい。
妹達はアジア圏出身だったので母国語は英語じゃなかったけど、インターナショナルスクールに通っていたので英語も喋れたんですよ。当時高校生と小学生の妹達が、大人の私と英語で会話している。という衝撃が凄かった。しかもお姉ちゃんはスピーチコンテスト出るような子だったので、私の方が英語力が低いという(笑)
だからもっとお話したかったなぁって、思うんですよ。自分しか知らないお父さん(私の父であり彼女達の父でもある)の話をしたり、彼女達しか知らないお父さんの話を聞いたり。学校でどんなことが流行っているのかとか、そのポシェットはお気に入りなの??とか、日本のマンガがやってるみたいだけどキャラクターは誰が好き?とか
話したいことを、話したい人と、話したかった。
あとは、妹が私のことを「お姉ちゃん」と恥ずかしそうに呼んでくるんですよね。外国に住んでいたので半年とか1年に1回ぐらいしか会えないんだけど、「今度お姉ちゃんと会った時にもっと沢山お話したいから!」って言って、最初嫌々通っていた英会話教室を猛烈に頑張ってるんだよとか聞いちゃって。もうそんなの堪らないじゃないですか。
あーーーーもっとーーーわたしもーーもっと君たちとお話したかったよーーーー
お姉ちゃんは妹にはめっちゃ強気(結構いじめるw)のに、私には甘えてくるのもかわいかったよー「お姉ちゃん将来私の結婚式に出てほしい(照)」とか言われてたんだよーーーうわーーーーー
ということで、今度いつ「話したい人」の母国語が日本語じゃない場面に出くわすか分からないから。あとなんだかんだ世界の人とコミュニケーション取る時の言語って英語だよねって。その時に同じ後悔をしたくないんですよ。っていう気持ちを思い出したな~という、話でした。
それではのです。