思い出とおばあちゃん
つい先日祖母が亡くなった。
僕が小学生くらいの頃から母が仕事に行くようになったので、実家から家が近い祖母が毎日僕が下校して帰宅する時間に合わせて家で待ってくれるようになった。
その頃、祖母はカラオケ教室に通っていて、カセットテープに練習曲を録音して歌詞カードを見ながら練習したり、それ以外ではよく本を読んだりして過ごしていた。
小学校低学年の頃は氷川きよしの曲を自分も一緒になって歌っていた断片的な記憶が残っている。
そして夏休みにはほとんど毎日のように、祖母の家に行って「大好き!五つ子」と「キッズ・ウォー〜ざけんなよ〜」見て、その後祖母の家にあった小さなカラオケセットで1人で歌を歌っていた。
一緒に歌うことはほとんどなかったが、隣の部屋でこっそり聞いていたのか、でかい声で歌っていたから仕方なく聞こえてしまっていたのか、2番の最初の歌い回しがちょっと違うかったなと後から言われた時は聞いてたんかいと少し恥ずかしくなった記憶もある。
そしていつか歌いながら徐々にテンションが上がってしまい、ついには立膝をついて頭を振りながら歌っている所を何か話に来たらしい祖母に突然見られて爆笑された恥ずかしい思い出もある。
いま自分が歌を歌っているのは、近くでいつも歌を練習していた祖母の存在がかなり大きいと思う。
中学生になると祖母は家には来なくなったが、都合が合う休みの日には祖父母に会いに行ってその都度カラオケをしていたように思う。
毎回祖父への小言をユーモアたっぷりに祖母が話して、僕と祖父も一緒になって笑っているという時間がなんとも言えず楽しかった。
大学生の頃になると祖母は病気がちになって入退院を繰り返していたが、寂しがりやの祖母とはよく電話をしたし、会いに行けば祖父への小言は相変わらずで毎回こちらが楽しませてもらっていた。
僕が2018年に出演した野外イベントのライブ写真を、病院で飾っていて色んな人に孫がアーティストをしているんですと自慢していたらしい。
その中にThe Songbardsを知っている看護師の方がいたらしく、祖母はとても嬉しそうに話してくれた。少しでも祖母の誇りになれていたことが本当に嬉しくてバンドをしていてよかったなと改めて思う。
コロナの時期から病院の面会が厳しくなり、ほとんど会えない日々が続いていた。今年に入って自宅療養になってからはようやく何度か会えたが久しぶりの祖母はかなり痩せて衰弱していたように思う。
最後に祖母に会ったのは11月の弾き語りツアーの岡山公演の次の日で、その時はもう話すこともできなかったけどしっかりと目は合って僕を見てくれていたと思う。もうそろそろお別れなんだなと思うとかなり泣いてしまったが、ちゃんとありがとうを伝えられてよかった。
残された祖父が気がかりなので、この年末年始は少しでも祖父と過ごす時間を持てたらなと思う。祖父の家で祖母の遺影を見ながらこのブログを書いて色々と思い出している。