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設楽悠太の勇気とプレッシャー。

男子はレース前に宣言した通り、設楽悠太選手がスタートから独走しました。が、優勝はできず東京五輪内定もなりませんでした(14位)。序盤から飛び出した判断、どうだったんでしょう?

勇気のある独走だったが最後はプレッシャーに敗れたと筆者は解釈します。現代の日本マラソン界が踏み入らなかった一発選考、主催者発表52万5000人の観衆、4強の一角、そしてレース展開。独特の緊張感が現地を包んでいたのかもしれません。それでも最初から突っ込んだ設楽悠太の勇気をまずは称えたいです。

グラフィックス1

大会毎の5㎞ splitとTimeです。(「SY」→4番目までの記録に記載)
大会前までの最も悪い記録が18年福岡国際の2:10:25と、ハイペースで入ってもタイムを残すのが設楽悠太の特徴でした。MGCでも貫いてましたね。20キロ付近までは恐らく想定通りのレースをしていました。

設楽悠太は35㎞付近までペースが落ちなければ安心できますが、今回は普段より早いタイミングで落ちてしまった…これは想定外だったかもしれません。結局、失速したまま戻せず37㎞過ぎにトップから落ちてしまいました。35-40㎞は18:37(1㎞換算3:43)かかり、この時点で気持ちが切れていたかもしれません。

戦前、筆者は4強の短所/長所をこう見てました。

設楽悠太選手に関しては2015年世界選手権、2016年リオ五輪で10000mの代表に選出されるも、それぞれ23位(30:08.35)/29位(28:55.23)と惨敗に終わっています。この辺りから「夏の長距離適性」を短所に挙げました。これに加えて代表選考会という「プレッシャー」が立ちはだかったのかもしれません。

MGCは独特な緊張感があったはずです。TV越しからもそれが伝わってきました。スタートから最短距離を走っていた…が、道の真ん中を走るようになり、脚のバネも落ち、ふら付きも見られ、後方を振り返る様子も見られました(ちなみに、大迫傑選手も41㎞過ぎに振り返ってましたね)。これらの行動から、失速しかけてからの対応が適切でなかった、と言えそうです。独走からの疲れ+プレッシャーの二重苦…それを含めても独走後も貯金を保つ走りが出来なかった、選択できなかった点は残念でした。

中村匠吾選手、服部勇馬選手、五輪内定おめでとうございます。同時に、今後は半端ないプレッシャーがかかるはずです。これがかなりの不安です。指導者、ファン含め、代表選手は特に護ってほしい、今思うことはこれだけです…。

今日はこれで終わります。ありがとうございました

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