文化と商業の狭間で
京都を訪れました。
1年ぶりでしたが、ニュースの通りインバウンドが多く、多国籍で活気付いていました。
日本の文化都市に皆が訪れることは賛成なので、そんな見慣れぬ京都も楽しかったです。
南禅寺は静かな雰囲気であまり人がいなく穏やか。
一方、水路閣は完全な写真スポットとして大勢の人がいた。
文化的場所のイメージとして、「消費されにくさ」があり、商業的場所のイメージは「消費される」というものがあります。
例えば、お城や山などは、観光を意図せず誕生し、今日に至ります(もしかしたら商業的な城はあったかも)。
そういった場所は、そもそも「集客価値を提供している」感覚はないので、元来消費とは縁がありません。
一方で、ディズニーランドや東京タワーなど、いわゆる商業施設では、人が来てくれることを第一に考え、それに見合ったパフォーマンスを発信することこそが至上命題と言えます。
この二つの違いはわかりますが、特に近年、ごちゃ混ぜになってしまった物が取り上げられていることが増えた気がします。
当事者の意図しない所で盛り上がっているような感覚です。
・意図せず「インスタスポット」になったもの
上記の南禅寺もそうですが、最近特に思うのは外国の方を中心に「ゴールデン街」「思い出横丁」などの飲屋街でカメラを向ける人が増えてきました。
いわゆるレトロ喫茶店もそうですが、おしゃれや写真写りを度外視し、その空気感を大事にしているものが消費の一途を辿っているように感じます。
写真を撮ることが悪いことなのではなく、写真よりも大切な時間の過ごし方が昔はあったのだと実感します(カメラが普及していない、など野暮なことは言わないでください・・・)
・止められない時代の移ろい
正直、この変化は止まりません。
事実、行政主体で伝統文化に類するものを観光名所として押し出しているものは数多にあります。
京都の川床は江戸時代から続きますが、立派な観光名所として商業的役割をになっています。
あえて意地悪な言い方をすれば、文化の切り売りがとっくに始まっているのです。既存の資源ばかりでは、いずれ誰も興味を示さなくなり、日本という国には何が残るのか、少し考える京都旅でした。