「万引き家族」に悪は登場したか①モノの見方の表裏
今回は映画「万引き家族」についてです。と言っても、所謂、映画の評論ではないです。
観たのは少し前なのですが、ネタバレなど気にするタイプなので少し時間が空いてしまいました。観てない人も楽しんでくれると嬉しいです。
概要はwikipediaを観てもらうとして、論点としては映画内の「悪」について論じます。
柴田治:リリー・フランキー
東京の下町に暮らす日雇い労働者。
柴田信代:安藤サクラ
治の妻。クリーニング店工場のパート従業員。
柴田亜紀:松岡茉優
信代の妹。JKリフレ店に勤務。
柴田祥太:城桧吏
治の息子。学校には通っておらず治とタッグを組んで万引きをしている。
ゆり(りん、北条じゅり):佐々木みゆ
治が柴田家に連れて帰ってきた少女。両親からはネグレクトなどの児童虐待を受けている。
柴田初枝:樹木希林
治の母。年金受給者である。夫とはすでに離婚している。
・法律違反=「悪」?
僕はそう思います。社会で生活する上で、守る必要はあります。違反すれば社会的にも法的にも罰せられるますが、守ることで褒められることはないので、より一層そう言えると思います。
今回、結果的に家族の大半が犯罪を犯していました。万引き、違法居住、年金不正受給、盗品、果ては殺人や死体遺棄など。
そこを切り取ると、完全な治外法権ハウスのように思いますが、社会はどこまで糾弾することができるのでしょうか。
主な収入源は治の日雇い、初枝の年金、そして「万引き」で生計を立てている家族。亜紀のJKリフレでの収入は家計に含めていませんでした。序盤では、生活に苦しい家族が不法行為を働いている描写が描かれていました。
・「悪」を「悪」と認識していない翔太、りん
「学校は一人で勉強できない奴が行くところ」と言う祥太は両手の指をクルクル回す「ルーティーン」を行い万引きを行います。
その祥太の姿からは、絶対に気づかれていないという自信と、万引き行為へのある種の誇りのようなものが垣間見える。「これは俺の仕事」と言わんばかりである。そんな祥太を見てりんも手伝うようになる。りんは、近所の家から治が連れて帰った子どもである。
そこだけでは誘拐であるが、りんは実親から虐待を受けていた。それを見兼ねた治は連れて帰った訳であるが、良いことをした、とは毛頭思わないが、それにより、りんが助けられている面があることが虐待問題の複雑さであると感じた。
二人に共通しているのは、万引きという犯罪を行っているという認識と、誘拐という犯罪行為を受けているという実感が互いに欠落していると感じられる点である。二人が子どもなことを考慮しても、尚である。
・独居老人を「装う」初枝
自宅に定期的に安否確認の人がやってくる。(おそらく民生委員)
その際、玄関にある仕掛けを通して家にいる祥太やりんは外出する。初枝は「主人を亡くして一人慎ましく暮らすお祖母さん」に早変わりする。
民生委員が見回り、安否を確認できたから安心、という訳ではないことを再認識させられる。見えない課題を発見するにはどうするのか、そんなシステムの根幹から考えなくてはいけない気がした。
・悪いのは誰なのか
犯罪はいけないこと、ということは自明だが、そこで思考停止しては何も改善されないようにも思える。なぜ犯罪行為を犯すのか、そこまで法的ではなく福祉的なアプローチを行わねば似たような事例は生まれるのではないか。
物事の表面を見て、正しい解決を提示するだけでは不十分な社会になるつつある。変化し、複雑化する上で、僕たちもまた、深淵に飛び込む気概を持たなくてはいけない。
JKリフレ、血縁のない家族、警察官、子どもの権利など、書きたいことが多く、長くなるので次の記事に続きます。