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「AIも知らないと社会に置いていかれるよ」は「英語ができないと将来苦労するよ」に並ぶ暴論
ここ数年、AI(人工知能)のニュースは多すぎるほど目にすることが増えた。
映画や本の主題になることも増え、塾で導入されたり実用化も始まりつつある。
特に多いのは「人間の仕事がAIに奪われる」という危惧する内容の話題である。
週刊ダイヤモンドが発表した「仕事が奪われそうな仕事ランキング」や、現代ビジネスの「データ入力者が奪われないようにするには」といった内容の記事は膨大にある。
ここでは、仕事が奪われるかどうか、奪われたらどうするのかは語っても意味がないので(先のことはわからないので)違う論点から考える。
・「将来、英語ができないと困るよ」
私は今、26歳だが、小学生の頃から英語の授業が導入されていた。そして決まって「将来は英語くらい話せないと困るよ」と言われた記憶がある。
当時は、「国際化が進むから必要なのかな」、と漠然と思っていたが、大人になった今、声を大にして言えることは「英語が話せるくらいでは楽勝な人生にはならない」ということである。
もちろん、通訳など、英語スキルが中心の職業なら必須であるといえる。外資系なら公用語が英語である場合もある。
しかし、英語が話せるというのは「英語が話せるだけ」なのである。海外を相手にビジネスをしたいのであれば、英語が話せることは会話ができるだけであり、その英語を「使って」何を話すかが問われているのではないか。
英語が話せるだけよりは、拙い英語でも思考がユニークな人物を雇う方がメリットになる。英語力をカバーするツールはいくらでもあるが、思考力やビジネス力は、個々人の備えているものが左右する、それゆえ、一発で思考を高めてくれるアプリは未だない。
英語で「何を話すか」という時代なのである。
・同じことがAI論にもいえるのではないか
同様に、AI論にも適応できると感じる。
「AIに仕事を奪われる分、自由な時間が生まれる」という論点はまさにこれで、自由な時間を生まれることがゴールと捉えているように思う。
「どの仕事をAIにやらせ、その空いた時間を我々は何に使うのか」ということまで考えると、AI任せに見えて、実は人間の行動、思考をどう使うかが問われているのである。
「会社でAIを導入しました!」というと先進的な企業であり、時代をリードしているように見えるが、それは2018年現在の話であり、そのAIを使って御社は何をしているのかが重要になってくる。
ついには「AI塾」が生まれ、生徒の個人進捗をAIが管理しつつ、苦手な科目を重点的に行うサービスが始まった。
例えば、二次関数が苦手な生徒には、どこがわからないのかをAIが出題しながら戻っていくという。一次関数なのか比例なのか。これは人間が確認するより早いと感じる。
大事なのは、その間に塾講師は何をするかということである。アプリをやらせている間にぼーっとしていたらあっという間におじいさん、おばあさんになっているかもしれない。
でも今は「人間同士の温かみのあるコミュニケーション」を求める人が多いのも実態。
AI導入の最大の弊害は人間の倫理観かもしれません。