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人生100年時代は、カーズを生み出す

「カーズは2度と地球へは戻れなかった…。 鉱物と生物の中間の生命体となり永遠に宇宙をさまようのだ。 そして死にたいと思っても死ねないのでそのうちカーズは考えるのをやめた」

©ジョジョの奇妙な冒険/荒木比呂彦



・人生100年時代は、幸せだけではない

こんなニュースが上がっていた。

「今後30年の人生があるとすれば、単純計算で2000万円が必要と試算した。」とのこと。

特に今現在、老後の貯蓄を試算することはしていないが、否が応でも考えてしまう。

「長生きをすること」は一般的に、倫理的に、人類学的に見ても「良いこと」とされてきた。死ぬ時は周りの人は落涙をするし、二度と会えないという悲しみに包まれる。

その「良いこと」を全うするときに、金銭的負担という極めて現実的な問題が可視化され、話題になっていることに驚きも感じる。

「生きることにもお金がかかる」という至極当然の見地からの言葉に騒ぐということが、我々がどこか対岸の火事のような、他人事のように思っていた照明ではないだろうか。


・日本人は他国を「外国」と呼称する

当然、そんな国は存在しない。外国という、いわば仮想概念を用いることによって生じることは、「考えなくて良い」という現象である。

自分とはどこか切り離された、他の次元の話をテレビやスマホという仮想を覗くツールで流し見している、そんな事象がある。

その現象が日本国内にも起こっていると、今回のニュースで実感した。

twitterなどで、政治について熱く語る人(悪いこととは言っていない)がいる一方で、そんな人を姦しく思う人(悪いこととは言っていない)がいる。自分に実感がないことは、どんなに大きな問題であれ、人は動くことができない。


・「考えるのをやめた」その先

考えることを停止しても、正直な実感としては今の日本でならば何とか生きていくことはできる気がする。

なぜなら、皆がそう思っているからである。誰からも咎められないし、考え続けている人は、考えない人を啓蒙している余裕などない。ただ何となく生きている人は、学生生活を思い起こしてもわかるように一定数いる。就活に熱心な人もいるが、「就活に熱心な人」という枠組みから外れないように必死になっているだけであり、考えている訳ではない。

極端に考え続ける必要はないと思う。

大事なのは、その先の社会で、どこまで「迎合」できるかではないか。「就活に熱心な人」を演じられたように、その社会の多数派を読んでいけば、生きることはできると思う。

「youtuberは職業足りえない」「大手企業で生涯雇用」という主流だった思考が、2019年現在では揺らいでいる。

たくさん考えるのではなく、要所要所でどう考えられるかが生きる鍵になるように思う。

100年も生きるのだから、ずっと考えるとガス欠を起こしてしまう。死にたくても死ねず、考えるのをやめる前に、トータルで見て意義のある人生を全うしたい。

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