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人生をきれいに終わらせるために生きる
きれいな終わり方について考えることがよくあります。
それは、仕事だったり人間関係だったり、人生だったり。
振り返ってみると、私たちはたくさんの終わりとともに生きてきました。
学生の時は、卒業式という明確な終わりを大人が与えてくれるので、その日をもってきれいに終わらせることができていました。
でも大人になって社会に出ると、その終わりは自分で決めていかなければいけません。
転職をして職場を変える時はもちろんのこと、部署を異動する場合でも最終的には自分で決める必要があります。
一度も転職することなく働き続ける人でさえ、定年退職をするのか、雇用延長をするのか、その場合は何年働くのか、自分で決めることになります。
人間関係に関しては年齢や環境は関係なく、様々な始まりを経て仲が深くなった人との関係を終わらせる時は、たいていの場合自分で決めて終わらせることになります。
学校や職場が変わってもその人と仲良くし続けるのか、同じ環境にいてもその人と距離をとるのか、お付き合いしている人とお別れするのかどうか・・・。
あまりにもきっぱりと終わらせてしまうと、後々連絡を取りたくなった時に連絡し辛くなることも考えられます。
反対に、ふんわりと曖昧に終わらせてしまうと、終わらせたと思っているのは自分だけで相手はそう思っていないという混沌とした状況になる可能性も大いにあります。
いずれにしても、「飛ぶ鳥跡を濁さず」と言われるように、なるべくきれいに終わらせていきたいと常に思っています。
さて、人生の終え方についても同じです。
どうすればきれいに終わらせることができるのか、私はよく考えています。
これは決して、自分から人生を終えたい、とか、早く人生を終わらせたい、ということではありません。
人間は誰しも、死に向かって生きています。
その日はいつか必ずやって来ます。
だから私は人生を終わらせることへの恐怖はあまりありません。
ただ、私の周りにある大切なものたちはどうなってしまうんだろう、と考えると不安で眠れなくなることが時々あります。
人は一人で死んでいく、と言われても、大切なものたちを残していくことはできません。
残ってしまった大切なものたちのその後を考えると、心配で心配でたまらなくなるのです。
いくら周りの親戚や友人に言っておいても、私の方が長く生きてしまった場合などの状況によって私の意向通りにしてもらえるとは限らないので、不安は募るばかり。
せめてもと考えたのが、遺言書です。
と言うほど立派なものではありませんが、私は何年か前から自分の意向を手紙に書いています。
大切なものたちの行く末や、所有物をはじめお金のことも具体的に。
幸せなことに私にはまだ時間が残っているようなので、時間が許す限り書き直して何度も更新しています。
そうすることで私の不安はほんの少しだけ軽くなりました。
あとは祈るしか手立てはありません。
始まりがあれば、終わりがある。これは、どう頑張っても変えられないこと。
だから私たちは、いつか来る終わりの日に後悔しないように準備をしていく必要があります。
大切なものやお金などの物質的なこと、人間関係、そして自分のやりたいことを一つずつやっていくことも。
その準備を始めるのに早すぎることはないと思っています。
まだ先のことだから、とか、縁起が悪いから、と遠ざけるのではなく、自分が満足して人生を終えるために必要な準備として捉えていきたいと思います。
死ぬことは、つまり、その人の人生の集大成であり完成した瞬間なのですから。
それでは、皆さま、良い夢を。