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“悪い子”が市民権を得た!
「風呂キャンセル界隈」という言葉があると聞いて、何事が起きたのかと思いました。
その意味は文字通り、様々な理由のためにお風呂に入らないという状況や、お風呂に入りたくない人たちのことを指すのですが、私にとっては驚きしかありませんでした。
私は子供の頃からお風呂が好きではありませんでした。
理由は分からないけれどなぜだか気が進まない、でもそれをこなさなければいけないもの、というのがお風呂に対するイメージでした。
親から「早くお風呂に入りなさい」と言われても動けず、ギリギリまで粘って(でも本人としては感情と理性の間で格闘しているのです)、怒られてから仕方なく入るような子供でした。
それは今でも変わっていません。
入りたくない気持ちと闘い、「明日出かけるから」と自分で自分を説得したり、寝る時間が迫って来たからと促したりして、毎日嫌々入っています。
良い香りのものが好きなので入浴剤を集めるのは趣味でもあるのですが、だからといってお風呂の時間が楽しみになるかと言えばそうでもありません。
ただ、新月と満月の日は浄化のお風呂に入ると決めているので、その日だけは他の日に比べれば進んでお風呂に入れるようになりました。
でもお風呂に入らないのは悪い子、と言われて育てられたので、本当はお風呂が嫌いということは誰にも言えませんでした。
だから、「風呂キャンセル界隈」という言葉で堂々とその気持ちを表明している人たちがいることに驚いたのです。
そして、そういう気持ちの人が思いの外たくさんいることにも。
私にとってお風呂嫌いの仲間は二人だけ。祖母と、同居している人形です。
人形は乾かすのに時間がかかるからお風呂が嫌いだと聞いていたので昔から知っていましたが、実は祖母もそうだったと聞いた時は驚きよりもうれしさが勝りました。
大人でもお風呂が嫌いだと思ってもいいんだ!と知ったことは、子供としては大きな許しを得たような感動でした。
だから、「私も」と祖母にだけこっそりと打ち明けることができ、大きくなってから私一人で祖母の家に泊まるようになってからは、「今日はお風呂入らなくてもいいわね」と二人で言い合ったことが何度かあります。
それでも「お風呂は毎日入らなくてはいけないもの」という呪縛は消えず、私は毎日格闘しています。
なぜこんなにお風呂が嫌いなのか考えてみましたが、これといって明確な理由は見付かりません。
水も嫌いではないし、入れば気持ち良いと必ず感じるし……。
でも食べること、歯を磨くことなどの日々のルーティンに比べると、労力は桁違いで時間もかかります。
というわけで、最終的に「服を全部脱いで、全身濡れて、それを乾かして、また服を着ることが大仕事だからだ」という結論に落ち着きました。
ところが、「風呂キャンセル界隈とは」を説明している方々の解説を読んでみた私は、軽く衝撃を受けました。
そこには、
「メンタル不調や極度の疲労により、何もしたくない、動きたくない、という自己防衛機能が働くことが原因」
とか、
「気力が湧かなくなるのは注意するサイン」
など、メンタルが原因というような内容が書かれていました。
そんな深刻な……、と衝撃を受けつつも、若干の違和感がありました。
私の場合は完全に一致はしていなくとも、少なからず動く気力と体力が残っていないからお風呂に入りたくないと思うことはしょっちゅうあるので、当たらずとも遠からず。
でも、この違和感を紐解いていくと、どうやら私のはわがまま寄りのような気が……(だから親からはお風呂に入らないのは悪い子だと言われていたのかもしれません)。
それでも、頑張ってお風呂から上がった後、やっぱり入らなければよかった、と思ったことは一度もありません。
気持ち良かった、さっぱりした、とポジティブな感想しか出てきません。
その気持ちになることだけを考えて、「あの達成感を味わおうよ」と私はお風呂に入るように自分の背中を押しています。
お風呂に入らない、という選択肢は、最後の最後まで出さずにいます。
どうしようもなく疲れてしまって回復できない時、本当に頑張ったから自分を甘やかしてあげたい時、そして心がぐちゃぐちゃになってしまった時、最後の切り札としてこの選択肢を登場させます。
「お風呂に入りたくない」という気持ちが、メンタルが疲れている注意サインだったとしてもわがままだったとしても、大事な大事な逃げ道。
自分の心の声に従って、甘やかしてあげることは何も悪くないと私は思います。
それでは、皆さま、良い夢を。