パラティの屋根。
喧噪のサオパウロからバスで6時間、静かなパラティの入り江に立っている。
向こうを望めば、幾重にも重なる山々が霧の中に青く浮かんで、モンテビデオの美術館で観た中国の山水画を思い出した。誰かの母であった人が、その恋人で会った人が、匿名の労働力になって暗い船底につながれ送られた港だ。1888年に奴隷制が廃止されるまで、パラティは金やさとうきびに加えそこで働く奴隷を運ぶ港として栄えた。彼らはみな教会に連れられカトリックの洗礼を受けたので、その記録からブラジルだけで少なくとも400万人の人々がアフリカの国々から連行されたことがわかる。首都だったリオデジャネイロとコーヒー産業で急速に成長したサオパウロを結ぶ道路が開通すると、かつて賑わった港町は100年もの間忘れ去られた。1970年代リオからこの付近まで高速道路が延びると、植民地時代の景色をそのままに残すこの町は富裕層のリゾート地としてよみがえり、現在も常夏の観光地には人が絶えず訪れる。
白い壁に赤いレンガが印象的なパラティの家々。不揃いなレンガは奴隷の女性たちが自分の太ももを型に一枚一枚作ったもの。いびつなレンガの織り成す苔むした屋根は間違いなくこの歴史都市に味を加えている。よたよたと歩きづらい石畳を行けば何百年も前にさかのぼったような気になるが、そのころの人々は静かに品よく佇むパラティのこんな顔を知らないはずで、かつて売春宿が並んだ通りも今では花々が咲き乱れ、すっかり絵葉書のモデルに様変わりした。それでも狭いその路地を歩くと、人々の生活や熱気やあらゆる体液をたっぷりと吸い込んだ古い壁からは、何か無機質でない香りが雨のあとの蒸気に誘われ放たれている。
港には色とりどりのボート。どれも観光客向けにきれいに塗装され、ラブホテルの送迎船のような桃色のボートもいくつか浮かんでいる。聞けばボート観光の業者たちがLGBTの観光客を取り込もうと始めたそうで、パラティは前市長がLGBTを歓迎する政策をとっている。そんなことわざわざ公言しなくても差別なしにやれよと思うが、カトリックの根強いこともありブラジルではLGBTの人々への差別や暴力がとても深刻なのだ。少数派の人間が心地よくいられる場所を意識的に作っていくことって確かに大事なことだよね。
旧市街から細い橋を渡ると人々の生活がある。子供らがくいくいと両手で操る長い尾をつけた凧が小さな竜のように曇り空に舞っていた。この地域の木々には様々な植物が宿り、枝からぶらさがる葉もどれが宿主のものかわからない。ほかの草花と肩を並べて木の幹に凛々しく咲いている白や紫の見事な蘭が印象的だった。橋を渡って旧市街に戻ると、潮がすっかり満ちて石畳の道がすっかり浸水している。不思議な光景。もう少しこの街を見てみたいとここでもやっぱり思うけど、リオ行きのバスが明日に控えている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?