帰れない夜。
石畳の舞台、街灯をスポットライトに休みなく回り続ける赤い顔の踊り手たち。軽快な太鼓のリズムに手拍子が加わる。夜空に突き抜けるようなトランペットのメロディーと時折重なる歌声が踊り手の汗と熱気に溶けて、夏でもないのに狭い路地はオーブンの中みたいだ。
バルパライソの町にはこういう音楽やダンスがよく似合う。エネルギーと感情に満ちた、お酒が飲みたくなるような歌と踊りが。
たくさんの丘に乱立した色とりどりの家。ウォーキングツアーをはしごして、丘から丘へといろんな話を聞きながら渡り歩いた。チリは政治の話を避けて旅できない。パタゴニアの南からここまで上がってきて政治の話を聞かなかった場所はなかった。1990年まで17年間チリの人たちを苦しめたアウグスト・ピノチェの独裁政権は、国民の財産をことごとく売り払ってしまった。水道も国民保険も海岸も売れるものはとことん売りたたかれて、例えばかつて小さな船で魚を獲りに出た漁師たちはみな海岸から追い出されて職を失い、それまで個々の漁師から魚を卸していた飲食店も今は大きな会社からほとんど冷凍のものを高く買うしかないのだって。
バルパライソがバルパライソたるのは暮らしの貧しい労働者の必要から生まれたアイディアにある。金持ちの住みたがらない不便な丘の上に土塀だの段ボールだの使って掘立小屋を建て、船の積み荷に使われたトタンと船体の塗装で余ったペンキを港から拾って来ては、脆い家の補強に使った。
そういう場所が世界遺産に登録されるのはとても喜ばしいことだけれど、立役者はそっちのけに街の中心は栄えて、周りの丘はいまも困窮的に貧しい。
きれいなホテルもたまにはいいけど、地元の経済をサポートしたいのなら小さな商店や市場で新鮮な野菜を買って、安くて美味しい大衆食堂でご飯を食べて、ホステルや民泊で地元の人や別な旅人と知り合って、そういう旅の仕方もある。
夜はゆっくりと宿ですごすのが好きだけど、道沿いの音楽に後ろ髪を引かれる。楽器も踊りも抜群でコンサート会場ならチケットがいるところだけど、長旅を言い訳に手持ちのお金を少し落とすだけ。トランペットだのバイオリンだの肩を並べて教え合いこんなレベルまで持ってくるのだから、庶民の文化ってやっぱりすごい。
私も帰ったら楽器を習おうと、凝りもせず誓いなおした夜だった。