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1986年はじめての海外 アメリカ #2 NRT-LAX

ここからの続きです。

いきなりの緊張感漂う検問が終わって、私たちを乗せたバスは、空港敷地内のカーブを曲がって、成田空港出発ターミナルに到着しました。
確か南ウィング。

成田空港でバスを降りてから出国手続きまでは、立派なソファーのある応接室のような待合室で過ごしました。
携帯やスマートフォンなど無い時代、写真を撮るといってもフィルムに限りがあるので成田で写真なんて撮るつもりもなく、高校生のただただ元気な私たちはワイワイと意味なく楽しく過ごしたのでありました。

時間になって、出発ロビーからエスカレーターで降り、ひとりひとり出国手続きを済ませ、新しいパスポートに
出国 と
スタンプが押されました。
はじめて日本の外側に出たんだ。と日本を外から見る視点を実感しました。
ただ、その出国手続きを終えたところはただの少し広い吹き抜けのエリアで、壁際にはたくさんのひとだかりができていて、そこにはカウンター式の免税店がありました。
今とは違って商品は少なく、ガラスケースに入った香水や壁際にディスプレイされたお酒、どれも手に取れるものはなく、カウンター越しに欲しいものを伝えて買い物をするスタイルで、だいたいの大人たちはそこで購入したお酒やタバコが入った透明の袋を持ってセキュリティーを通り、ゲートに向かってました。(保安検査と出国手続きは今とは逆でした。)
タバコと言えば、どこでもタバコも吸えたので、灰皿がそこらへんにあって、歩きタバコを変に思う人など皆無。機内の座席の肘掛けに灰皿が標準装備されていて、後方5列ぐらいは喫煙席もあったりと、ゆるゆるの時代でした。

私たちはそんな免税店を横目にゲート前に向かいました。
搭乗を待っている間、今後1ヶ月くらい話せない親に公衆電話から電話をしました。と言うか、搭乗口にいるお客さんがみんな公衆電話を使っていました。
通話は『今から行ってくるよ』で始まって、
『すごい並んでるから切るね』で終わる出発前の短い通話。
この時代の成田空港では、公衆電話には常に列ができている状態。何ヶ所かに電話をする場合、1ヶ所通話が終わったら電話を離れて最後尾に並びなおすというのが暗黙のルールでした。
当時は何度も言うようですが携帯電話がないという今では信じられない世の中なので、出発前に電話をしようという人達で公衆電話が激混みでした。

飛行機はノースウェスト航空 NW002 NRT-LAX
機体はジャンボジェットと呼ばれていたB747。

搭乗が始まって、日本のテンションのまま機内に入ったら、いきなり、

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Hello!

そこはもうアメリカでした!

機内のにおいと、言葉の音とCAさんの香水、一瞬でアメリカを感じました!

今では動画や街中でいつでも聞ける英語での対話や会話ですが、当時は音源が限られていて、数少ないアメリカドラマやインタビュー、英語の勉強用の音源、それと高校ではイギリス人の先生のクラスがあったくらいで生の会話を聞く機会が本当に少なかったんです。
なので、この機内に一歩入っただけで別世界でした。

ノースウェストのクルーたちは、ワイワイ騒いでいる子供達を喜んで迎えてくれて、コックピットを見せてくれたり、アメをくれたり、みんなが近くの席になるように変更をしてくれたり。

席に着くと、アメリカの新聞をみんなに配ってくれました。
トランプやボールペン、飛行機の絵葉書や冊子など、子供たちが喜びそうなものも。今とは違って、いろいろなものをくれる時代でした。

飛行機は無事に離陸。とうとうはじめての海外、アメリカに出発です。
機内ではドリンクサービスがはじまりました。
アメリカ仕様の缶のコーラや7upと、スナックのハニーローストピーナッツを食べながら友達とただただうきうき過ごしました。

機内食を食べて、みんな同じ画面で同じ映画を見て、CAさんと英語で会話をしてみたり、いちいち全てに感動できた機内でした。

機内では、洋楽好きの友達と、観光でハリウッドやサンセットには行くのかなぁ?と話をしていました。
添乗員さんに聞くと観光予定のチャイニーズシアターがハリウッドのど真ん中だというじゃないですか!

ロサンゼルスには朝到着するとのことで、機内ではできるだけ寝なければいけなかったのですが、なかなか寝れませんでした。
初めてのことだらけの密度の濃い、長くて楽しいフライトを終えて、無事に着陸。

私の初海外上陸地ロサンゼルスに到着しました。


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