1986年はじめての海外 アメリカ #3 Mid-80s LAメタル
ここからの続きです。
LAに到着すると、今までに感じたことのない空気を感じました。
乾いた感じの空気で、英語しか聞こえないからか、全ての音がすごくクリアに響いていました。
空港の外に出るともっと何とも言えない空気を感じました。この日本では感じられない空気感にすごくうきうきしました。
私たちは極寒のバスに乗って首都高の10倍くらいあるフリーウェイを通って、滞在するUCLAの寮に向かいました。
広すぎるUCLA構内を学生に案内してもらったり、カフェテリアで食事をしたり、もうそれだけで、アメリカっていいなー!という気分に浸ってました。
ロック好き・音楽好きの友達と私は、寮の同じ部屋で、明日行く予定のチャイニーズシアターでは自由行動の時間があるということを知って、とても楽しみにしていました。
私が行った1980年半ばのロサンゼルスは、LAメタル・ヘアメタルの時代。
アーティストでいうと、モトリークルー、ヴァンヘイレン、ラット、WASP、それと、LAではないけれどメタリカとボンジョヴィ が売れていたのかな。という頃で、ガンズ アンドローゼズがメジャーアルバムを出す少し前、LAメタル時代のど真ん中。ロサンゼルスに行く直前には、ヘザーロックレアと、トミーリーの結婚式の写真が、日本の洋楽雑誌を賑わせていた頃でした。
当時の情報源のひとつ、毎日楽しみにしていた、テレビ神奈川のミュージックトマトという番組の水曜日レギュラー、マサイトウこと伊藤政則氏が話していたLAメタルの聖地、ウイスキーアゴゴー、カントリークラブ、レインボー、ロキシーといった有名なクラブ(ライブハウス)も、見れるといいねーと。友達とドミトリーの木のベッドで話しながら眠りにつきました。
次の日、いざ市内観光に行くと、私たちが観光で下車するハリウッドのチャイニーズシアターから、サンセットストリップの有名クラブのあるあたりまでは、地図だと近そうに見えて、実際には少し距離があるのと、プラプラと歩ける公園通りやセンター街のような道ではないらしく、残念なことに歩いて行くことはできないことがわかったのですが、嬉しいことに、バスの中から見ることができました!
バスの窓から見たウィスキーやレインボーは、とても新鮮でした。
当時の東京のロック系ライブハウスで有名だった新宿のロフトや渋谷のエッグマン、目黒の鹿鳴館なんかとは違って、表から見た感じがダークでアングラな感じがあまりしない、ポップでアメリカンな感じが予想外でした。
観光で下車したチャイニーズシアター周辺では、マドンナやマイケルジャクソンといった超有名アーティストはもちろん、日本に入ってきていないアーティストやロックバンドのステッカーやグッズ、そんな感じのものが売っているお店がたくさんありました。
お店の入り口ではいろいろなバンドの次のショーのフライヤーが置いてあってそれらを無料でもらえたり、アーティストがプライベートで撮られたらしい写真もたくさんあって、それを見ているだけで満足でした。
当時の日本代表ラウドネスのTシャツやグッズなども普通に売られていました。
ラウドネス は、アメリカではモトリークルーの前座でツアーも回ったし、ヨーロッパでツアーもしていて人気だという噂は見聞きしていたのですが、アメリカで実際に、ラウドネス が本当にメジャーなんだ!ということがわかってなんとも言えない感動がありました!
LAよりも、次に行ったサンフランシスコでラウドネス好き!いいよね!っていう人が結構いて驚きました。日本人としてとても嬉しかったです。
そして、こんなアメリカで活躍しているラウドネスって、本当にすごいなぁと思ったのです。
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