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窓際のおっさん63 おっさん(著者)が仕事ができない無能である理由(後編)

 前回はおっさんの実務能力がいかに低いか、低いなりに弁えて生きる必要がある事実、そして成果も出せずに無能であることが確実であることを述べた。
 今回は、成果を出すことの難しさについていくのは大変で、どこかで折り合いをつける必要があるのではというおっさんの私見。余計なことだけはちょこちょこ指摘してくる、会社にとって小賢しい存在であるだけのおっさんの実情。そしてそんなおっさんが何を思い、どう生きていくつもりなのか、言い訳まじりにまとめを述べていきたい。

<こんな条件で成果を勝ち取ろうとするのは無理がある> 


 成果を出すためには説明する力や熱意などが必要と言われるが、案外そこは重要ではなく、信頼され魅力的であることが必要になる。
 これはおっさんのように醜くて反抗的な人間には到底かなわない事である。よって全員が優秀な人間を目指すのか、そしてなれるのかというと無理があるのは自明の理である。
 せいぜいこんな人は100人に1人で十分ではないだろうか。
 ならば何処かで折り合いをつけて、無能なりのキャラクターや役割を果たしつつでいいようにも思う。成果は個人の功績として誇ることもできるが、結局は組織全体としての成果が本筋であることもまた事実である。そう俯瞰すれば、無能でもいくらかは意味を持つことができるだろう。

<おっさんは無能だが、余計なことばかりしている>


 仕事ができる人は選択と集中が優れている。必要な能力を必要な時に揃えて会社の利益に貢献できる。役に立たない資格の勉強をするぐらいならば、残業してでもなんどもミスチェックをしたり、資料の出来栄えを完璧にしたり、身だしなみや態度を整えるために多くの時間を費やす。
 そして上があまり理解しなさそうな概念は、気が付いても優先度を考えて小出しに提案し、余計な負荷を周囲にかけないものである。

 一方のおっさんは散々noteでも紹介してきたように資格マニアで思索好きな、会社にとって余計なことばかり考える大賞を毎年受賞する系の厄介者である。
 仕事のミスも多くて態度も悪いため、まずはそこを正さないと信頼もされず仕事にならないのだが、どうしてもそれらが出来ない。
 そんな中で、優秀な人が優先度を低く設定し、上役も全くフォーカスしていないところばかり気になり、集中できずますますミスしたり、優先度の低い仕事ばかりこなすいけ好かない人間になっている。

 また、何度も言うが嫌われているので、自身が気が付いたことで致命的なこと(人命や重大な法律違反)に係ることは、うんざりされつつも口を酸っぱくして進言した挙句、組織立ってというよりも、ゴリゴリと自分だけでやってしまい、責任を取らされて左遷されるというパターンを繰り返している。

 安全衛生や建築設備関連の法律など、資格を取り、勉強会に参加し、だからこそ気が付いてできることではあるが、知っていますよというその態度にはどうにも鼻持ちならないところがあり、結局評価してもらえない。
 加えて、直近の上司に迷惑をかけつつ緊急という強硬手段などで対応しようとするため、上役を悪い意味で驚かせてしまうのもおっさんの良くないところである。

 最近は余計な部分こそ必要なのだという価値観も現れ始めたが、そんな時代でも相変わらず事実としては、上役の喜ぶ成果を組織として実行できる人間こそが優秀であり、そうあるために余計なことを我慢できる器量が無いのが、おっさんなのである。

<結局おっさん(著者)という人は、まったく仕事ができる人ではない、だが。。。>

 おっさんは、上述のようにところどころハードボイルドで自己犠牲的な良い人を装っているようだが、実態としてはズルして文句たれて、とりあえずの高給にしがみついて、可能な限り仕事をしない悪たれである。
 加えて余計なところは指摘してくるウザイ男で、合意形成能力も足らず、組織にとっては常に予想外の外乱要素のように振舞うという面倒くさい人物である。 

 故におっさんがいかに無能であるかよくお分かりいただけたと思う。


 時々、おっさんの持っている資格の数や、活動の数々を見て「優秀」と称する人がいるのだが、全くの見当違いである。優秀な人と言うのは、ルールをきちんと守るだけでなく的確に運用し、常に目的にフォーカスし、人望もある人たちではないだろうか。
 おっさんはルールを表面上守ることしか考えておらず、ルールの意図する目的は嫌がって理解しようともしない、ミスが多いのに直そうともせず、コミュニケーションも最小限で人望もなり低い人間である。

しかも、それでいいと結論づけてしまっている。救いようがない。


 とはいえ、無理して優秀な人間になろうとすることがどれほど大変かぐらいは分かるつもりである。そして恐らく成れないとも理解している。
 そんな無謀な戦いに参戦するよりは、どこか致命的な部分で組織を適度に支えて適度に給料をもらい、嫌われて出世もせず、プライベートで好きなことをやる。
 そっちの方が生きて居て幸福に思う次第である。

 起業しろと言われることもあるが、いや、無理でしょう。だって優秀ではないのだから。
 せめて鈍感になってズルく生き続けるほうが生存戦略としては良さそうだ。
 無論、その戦略が通用しなくなる可能性もあるので、そこを見越して色々な資格や活動を行い、様々な繋がりや経験を蓄積しているのも事実ではあるが。

 最後に、優秀であるならその生き方も大いにありだと思う。だがそれを正解にするとほとんどの人が不幸になる。
 かつては横並び、全員が課長(例えば担当課長とかいう名誉ポスト含む)になれた時代もあったようだが、今は昔のことである。
 そんな時代の価値観に巻き込まれ、せめて課長になろうなどと思っていると、おっさんレベルでは不幸になるだけである。ならばもっとしたたかな選択をした方が今の時代は幸福な人生ではないだろうか。

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